タマスが頭にあるときに淀んだ感覚になりますので、タマスをアナハタ以下に押し返す必要があるように思います。
今までは、アジナに集中することでタマスをヴィシュッダから下に吸収するの感覚でいましたけど、実はそれを成り立たせているのが天から来る光のエネルギーによるものだったようです。
スピリチュアルでは天からの光のシャワーで不浄なものを洗い流して浄化するみたいなことが言われていますけど、それは理屈としてはわかりますけど今までどこかピンときていませんでした。しかしながら、どうやら瞑想でタマスを浄化することを成り立たせていたのが実は天から来る光のエネルギーなのだとすれば、表現こそ違えどもスピリチュアルで言っているのと同じことがヨーガでも行われているのだということがわかります。
スピリチュアルな言い方はどこか神秘的ですけど、ヨーガにしても集中瞑想でサハスララを開いて光の意識に到達するなんてことは実は同じことだということが分かるわけです。
光のシャワーと聞くと、実際のシャワーは水ですから体を簡単に通り抜けるようなものだと思っていましたけど、私の場合はもっと質感のあるもので、透明で光ではあるもののゼリーのような粘着性のある光の物質・・・ 物質と言うと語弊がありますけど、光ではあるものの粘着性があってそれは物質の水のように何かを押し出すことができる性質のものです。
光ではあるものの、性質としては粘着性のある水のような気体のような液体と気体との中間のような粘着性の光だと思っていただければ割と近い気が致します。
そのような粘着性の気体と液体の中間の光が天から頭の上を通って入ってきて、それがタマスをアナハタ以下に押し返している感覚です。
これを光のシャワーだと言われればそうかもしれませんけど、シャワーというよりも頭上から来る光の洪水とか言った方がしっくり来る気が致します。まあ、表現の違いだけだとは思いますけど。
そのような光の洪水が頭上から実は来ていて、それがタマスをアナハタ以下に押し返していたわけです。
今まで、その光の洪水の存在を知覚できていませんでしたが、ふと、それが来ていることに気が付いたのです。どうやら半年かそのくらい前からその影響が強くなってきていたのかな・・・ と今になっては思います。
感覚として、アナハタで下半身のタマスと上半身のサットヴァな清浄な意識とが拮抗している時が心身共に充実している気が致します。
アナハタより上にタマスがあると意識が淀んでしまいます。サットヴァが下半身を充実したことはない気も致しますけど、過去生を見てみると地上に転生してすぐの頃はサットヴァしかなかったような気も致します。今生の目的からしても今回はタマスの割合が多くて、天のエネルギーを弱めないように気をつける必要がありそうです。