ソーハン瞑想あるいは小周天のようになる

2020-12-11 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ソーハン瞑想(ソーハム瞑想、So Ham瞑想)はソー(so)で息を吸ってハン(ハム、Ham)で息を吐く瞑想で、ソーの時にエネルギーをムーラダーラから背骨(スシュムナ・ナディ)を通って頭頂(サハスララ)まで上げ、ハンで体の前を通ってムーラダーラまで戻す瞑想です。

小周天も似たようなもので体の前と後ろをぐるりとエネルギーを回します。

細かくは違いがありますし、流派によっても違いがあります。

一例として「タントラ・ヨーガ瞑想法」(スワミ・ジョーティルマヤナンダ著)には、最初は呼吸とソーハンを合わせた後に次第にソーハンを聞くだけの状態に遷移させてからエネルギーの循環した流れだけになるまで瞑想を続ける、といった詳細な説明があります。

そのように流派ごとに違いこそあれ、背骨から上げて前方から下ろす、という点では共通しているように思われます。

ここ最近、ムーラダーラに意識を合わせるだけでエネルギーがアジナまで上がるようになり、この状態は、特に狙っていたわけではなかったのですが、ふと気付いてみるとソーハン瞑想あるいは小周天の状態にとても似ていることに気が付きました。

べつにソーハンと唱えているわけでもありませんが、気づけばソーハンとは単に呼吸の擬音のような気もしますし、ひょっとしたら元々は単に日本語の「スー、ハー」みたいに呼吸の呼気・吸気を擬音で表現していただけのものがそのまま名前になったのではないかとも思ってしまいます。

だとすれば特にソーハン、ソーハムという言葉に注目するより、エネルギー的なものに着目すればいいわけです。このあたりの根拠は推測でしかないですけど、瞑想中にやってきたインスピレーションを元にしていますのでそう間違いでもないのかなと。

どちらにせよソーハム瞑想そのものを真似するというよりも、あくまでも自分の最近の瞑想がたまたま似ていた、というだけのお話です。真似しようとしているわけではありません。

この現在の状態は、ソーに対応する状態でムーラダーラを少し意識すると、それだけでエネルギーがアジナまで一瞬で上がり眉間にちょっとしたゆらゆらとした感覚が現れます。これがソーの部分で、特にマントラのソーを唱えることなしに単にムーラダーラを意識するだけでこうなります。その後、息を吐くタイミングで意識を抜くと自然に眉間がリラックス状態に戻り、エネルギーが少しだけ平準状態の方に戻り、半分くらいは発散し、それでもまだ眉間の周囲にエネルギーが残っている状態になります。そして次の吸う息でまたムーラダーラを意識するとそれだけで再度エネルギーがアジナまで上がります。その繰り返しです。

これは、以前、かなり昔にソーハム瞑想あるいは小周天を試した時はそれなりに意識を集中させてエネルギーをちょろちょろと水脈を乾いた土地に流すかのごとく努力が必要だったように思います。

今は、どこがエネルギー・ルート(ナディ)なのかわからないくらい太いというかオーラが広がっている感じで、体全体の少し背骨よりから全体的にエネルギーが上がって一部だけ戻る、という感じになっています。

そのように、今はムーラダーラからアジナ・サハスララまでエネルギーのルート(ナディ)が繋がった状態になったように思います。