自分探しの旅をしていたつもりはなかったのですけど、最近のサハスララにエネルギーが満ちると潜在意識が表に出てくるという状況は、いわば「本当の自分で生きる」ということそのものと言って良いと思います。
単に瞑想をしていただけで、目的は特に自分探しというわけではなく、もともと私は小学校の頃に幽体離脱をして過去生も未来も見て人生の目的を知っていたので、その時点で既に自分探しは終わっていたと少し前までは思っていて、今はその時に得た知見を基にある程度の覚醒を追体験していわゆる悟りへの階梯を確かめるという段階にいるのだとずっと解釈しておりました。
ですので、ここに来て今更「自分探し」などするつもりもなければ期待もしていなかったのですが、サハスララにエネルギーが満ちた状態は、言葉で言い表すならば「本当の自分」と言うのが相応しいもので、それはスピリチュアルや放浪の旅をする人たちがよく耳にする「自分探しの旅」の終着点のようにも思えました。
ただ、誤解がないようにはっきり言っておくと、自分探しは単なる通過点に過ぎなくて、サハスララにエネルギーが満ちて自分が見つかったとしても、それは単に「普通」に戻ったというだけのことであって、特別になにか凄いことではないように思います。
今までは本当の自分と一体にはなっていなかったのだな、という実感があります。
そして、それは単に今までがおかしかっただけのことであって、本当の自分が見つかっても何ら誇るべきものはなく、単にそれだけのことでしかないわけです。
きっと過去の自分が今の自分を見たら素晴らしいと思うでしょうが、それはそうかもしれないですけど、実際、今の自分は何ら特別ではなく、単に普通に戻った、というだけの、ただそれだけのことです。
サハスララにエネルギーが満ちて知ったことは、ただの、ちょっとした、そのシンプルなことでした。
嵐が去った野山を小高い丘から見下ろして、澄み切った風と明るい光、そして青空を見上げ、大地を見渡すかのような、そのような自然な気持ちがサハスララに相応しいように思います。