金剛定によって空になり切る

2021-03-16 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

金剛定とはあまり聞きませんが、内容として、空に達した定であると解釈しました。

「真空清淨なる處、真に清淨なり」の金剛定(中略)この定境は、滅盡定から妙覺一転して真空清浄になりきって開けた定境(「信心と坐禪(油井真砂 著)」より)

説明を読むと、どうやら、この金剛定の状態では空のみになり切っていて、まだ、空と色(形)との両方を味わうという段階には達していないようです。

このあたりは説明が難しいのですが、空というのは心の土台で、色というのが形を持った現れですので、形というものは永遠と次々に現れてくるもので、その空としての土台と色としての現れの両方を受け入れて観察してありのままに受け入れる状態がサマーディなわけですけれども、この金剛定は一応はサマーディの一種としてみなしても良いかとは思いますがサマーディとしては少し物足りなくて、空の側だけを受け入れるのが金剛定の状態なのかなと思います。

清濁一如の妙機が得られて居ないから、夫れで、つい空に著するということになるのである。(中略)空によつて生ずる「空病」としての煩惱である。(「信心と坐禪(油井真砂 著)」より)

これはどういうことかと言うと、清濁とはそれぞれ空と色(形)に対応しており、空は良しと受け入れることができても濁であるところの色(形)、いわゆる思考や雑念までもが根源なる神というか聖なるものとして感じられていないが故にこの段階に留まっているわけです。

このように、空にだけ執着してしまうことを禅宗では「空病」と言ったりするようです。

ですが、それは病という名前はついてはいるものの、正常な成長の1つの段階として必ず通るもので、病とは言わなくてもいいのでは、とも思いますが。べつに病気ではなくて、ただの一つの段階ですので、それすらも楽しめば自然に次の段階へと進むと思います。

これらのことは同書でも述べられています。

この煩惱は、空に對する著が空じられて、妙覺一轉の悟りが更に一轉して色即是空の妙融力に成りさへすれば、夫れで煩惱 即 菩提の妙機が證得される(「信心と坐禪(油井真砂 著)」より)

この次にやってくる境地がまさに般若心経で言う色即是空の境地なわけですね。