先日、ゾーン状態はアストラルのサマーディということを書きましたが、本山博先生の分類に基づけばアストラル領域は感情の世界ということですから、瞑想者はもとよりアスリートや技術者が入り込む極度の集中および歓喜の状態である「ゾーン」はアストラル領域に相当するわけです。
アストラルの次元の場合は、「心」と言っても、主に感情や想像が主になっているものです。 「本山博著作集5」
はっきりとはそう記述されてはおりませんが、アストラルに相当すると解釈するのが妥当と思われます。ただ、アストラルでは感情が強い一方で、その次の段階であるカーラナ(コーザル、原因)の段階でも感情はあるとのことです。しかしながら、強い歓喜ということであればアストラルが相当するように思います。
アストラルの次元での合一の状態(=三昧)が起きると、非常に気持ちがいい。アストラルの次元で起きる合一には、感情や感情的な要素が入ってくる場合が多いのです。非常に気持ちがいいとか、悪いとかそういう快感・不快感というのがある。「本山博著作集8」
物理的な次元を超えてアストラルの段階で合一が起きると目的となっている集中の対象との合一がなされて、アスリートならばゾーンの状態になったり、技術者であればゾーンに入って物事がスムーズに進んで良い作品を作れたりします。それはそれで素晴らしいことではありますけど、瞑想者としてはそこはゴールではないということです。目的が結果を出すという現世利益であるならばゾーンが目的なのも当然かとは思いますし、仕事のパフォーマンスをあげるための瞑想、あるいはストレス解消のための瞑想というものも世の中にはありますから、そのような目的であればゾーンはとてもうまく働くと思います。
ただし、ゾーンはあくまでもアストラル次元の三昧(サマーディ)ですから、本質的に心の問題を解決するわけではありませんが、ゾーンであっても一時的には心の問題を解決しますので、全く解決しないよりはるかによくて、それゆえに、ゾーンはそれなりに有益であるわけです。