下実上平とは本山博先生の造語ですが、透明なエネルギーが体全体にバランス良く充満していて上半身が非常に平らな状態とのことです。その時に、 カーラナ(コーザル、原因)との合一(三昧)がなされる、とのことです。
その記述の中で、下実上平の特徴として「呼吸がないようになる」という文言を発見致しました。
下実上平ははっきりと目が覚めている。光り輝いているような感じがして、ずーっと自分が一帯に拡がっているのです。(中略)「呼吸がないようになる」ということが非常に大事なのです。普通の呼吸をしている間は深い瞑想や三昧には決して入れない。(中略)呼吸がまるでないような状態にならなければだめなのです。呼吸をしなくてもいつまでも楽でいられ、心臓の鼓動もなく、意識ははっきりと覚めていて、平安であり、次第に体の意識がなくなるが、意識は依然として明晰である。次第に自分の存在が広がってゆく。「本山博著作集8」
これを読むと、最近の呼吸が止まったかのような状態(クンバカ)が相当するような気が致します。実際のところクンバカが自動に起こるというだけであればそのかなり前の段階でも起きていたわけですけど、クンバカだけでは判別が難しいですけど、その他の手がかりを元に判断すると私の今の状態を表していると言えると思います。
自動的にクンバカが起こる、というのは他の流派でも重要な段階と捉えられていて、思えばインドでクリヤ・ヨガのお話を聞いた時に何段階か以降に進むためには息を止める瞑想(サマーディ、三昧)に入る必要があって、ある程度の段階以降になると息を止めたサマーディの状態でテレパシーで教えが伝授される、ということでした。当時は「そんなの無理でしょう」と思っていたのですけど、案外、それは可能なのかもしれません。私はまだ長い間息を止めていることはできなくて、できないというよりは常識が邪魔して顕在意識で息を再開してしまっていますけど、実際のところ、顕在意識が邪魔をせずになるがままにさせておけば息を止めておいても案外平気なのかもしれません。
ただ、心臓が止まる、というのはよくわかりませんけど。本当のことなのか、比喩的にそのように感じられるだけなのか。心臓が動いていないように感じられるだけであれば私は既に経験済ではありますし、最近の呼吸が止まる時も心臓のことなんて意識しておりませんから、ただ単に意識していないだけだと思いますけど、心臓が止まる、というのはよくわかりません。ただ単に心臓の鼓動が意識されない、というだけのようにも思いますが、本当に止まるかどうか、そこはよくわかりません。