別の種類の無意識状態の瞑想

2021-09-25 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

以前は、瞑想中に意識がなくなる時は割と意識にモヤがあって、意識がどこかに漂ってしまって想念の渦の中で自分という意識が消える、という感じでした。その後、意識が明確になるにつれて瞑想中に意識が漂ってしまうようなことは少なくなってはきたのですけど、ここにきて、また別の種類の無意識状態に瞑想中に入るようになりました。

これは説明が難しくて、元々は、瞑想中に意識が漂ってしまって想念の渦と自分の意識とが一体になることにより自分という意識が消える、という感じでした。それはそれでアストラル次元の感情および思いの世界における合一(サマーディ)の一種ではあったかと思うのですが、その次元でのサマーディはあくまでも感情的な想念の合一であって、それより高い次元での合一ではないのですよね。

一方、ここ最近は瞑想が進んできて、それでも少し進んではまた戻り、また少し進む、という感じで行ったり来たりではあるものの基本的にはベースが進んできて、そうなってくると、感情的な合一というのはほとんど起きなくなってくるわけです。

感情的な合一で意識がなくなる、と比喩することもできますけど、意識がなくなるというよりは、意識が全体に包まれることで全体のアストラルな意識になる、という感じの合一(サマーディ)でした。それはそれでサマーディであることには違いはないのですけど、アストラルの次元の合一とカラーナ次元での合一、そしてプルシャの次元での合一とがありますので、アストラルの感情のサマーディ(合一)をしたからといってそれほどでもないわけです。

最近は割と感情よりも、知性のブッディが優勢に働く状態になってきて、それはオーラ的に言えばサハスララにオーラが満ちている状態ではあるのですけど、完全には満ちなくてもそれなりに満ちれば知性のブッディが有効に働いてくるわけです。

その状態において意識が高みに近づいた時、意識がなくなるのです。

意識がなくなる、というと語弊がありますが、顕在意識で知覚できなくなります。

顕在意識で知覚できないので少し状態を戻す、ということをするとまた知覚できるようになるのですが、再度挑戦してオーラを満たし、意識を高みに近づけるとまた意識がなくなってしまいます。

これは、アストラルの時に意識がなくなって感情的に周囲と合一(サマーディ)した時と異なり、ただ単に、知覚できないなにかと一体化している、としか顕在意識にはわかりません。

それは上位の意識、次元の高い意識ともいうことができますけど、その次元の高い意識は顕在意識でなかなか知覚できないようです。

書物を読むと、最初はトランス状態になって知覚できないけれども数年すれば顕在意識で知覚できるようになる、と書いてあったりもしますので、これは時間の問題かもしれません。

今のところ、意識が高みに辿り着くと顕在意識で知覚できなくなって、ですけど、そこには確かに何かの意識があって、高みの意識が何かを意図したり認識しているような気がします。気がするだけで具体的にはわからず、気がした瞬間に顕在意識が働かなくなってしまって知覚できなくなってしまいますので、それ以上のことはわからなくなるのです。

ですけど、瞑想を終えてみると何かがあったことがわかりますけど、具体的なことはその瞬間にはちょっと覚えていたりしますけど、夢と同じで、すぐに忘れてしまいます。

これは、夢を知覚する技能と同じように瞑想を知覚する技術が必要なのかもしれませんし、それは技術というより瞑想が進めば知覚できるようになるということかもしれませんけど、ひとまず、今は意識が消えてしまって無意識状態になる瞑想になっています。