未分化のスピリチュアルから合一へ

2021-11-11 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

最初は、単に未分化の、割と原始的なスピリチュアルから始まります。ただ単に分離されていなくて、全てが同一に見えて、その時は、個というものはほとんどなく、所有という観点もあまりなく、ものや考え方などが単に共有されている世界です。

これは理想のように見えるかもしれませんが、実はただ単に原始的なだけで、今でも先住民族などの社会においてこの原始的なスピリチュアルは生き残っています。

先住民族だけでなく、社会としても、例えば韓国のような社会は割とこの傾向があって、社会として未分化のスピリチュアルの段階にいますので分離されていなくて、個というものがあるようでいてなくて、実際のところ、何もかもが自分のように思えてしまう状態な人が多いわけです。そのような状態ですから、韓国の人たちが日本由来の多くの事柄に対して「これは韓国の出自だ」とか主張してしまうのも、日本の人たちからすれば「一体何をバカなこと言っているのだ」ということになりますけど、韓国の当の人たちにしてみればただ単に見解が分離されていなくて、本当に自分がやった成果かのように見えているのです。ですからそれほど悪気があるわけでもなくて、割と本当に自分たちのものだと思っているわけです。現実にはもちろん違うわけですけれども。

そのような社会は韓国だけでなく、身近なところで言えば沖縄やアイヌの人たちにも同様の傾向があって、そのようなところは先祖の主要な霊たちと交流することが今でもできるわけですけれども、そのようなことができるベースとして、そもそも未分化のスピリチュアルという土台があって、先祖の霊であろうと素直に自分の受け入れる基礎があって、自分の体及び自分の魂と他の魂とを一時的に融合させることでスピリチュアルを実現しているという面があるわけです。

そのような割と同一の傾向がありますから、最近見た映像でいうと、何故か韓国の人がアイヌの先住民族の儀式に混ざって韓国旗を服につけながら儀式をしているという意味不明なことが起こるのも、韓国のその種の段階にいる人たちはアイヌであろうと何であろうと自分自身のことだと思ってしまう、未分化のスピリチュアルの段階にいて、アイヌの側としても割と同じ傾向があったりしますから、そのような意味不明なことであっても受け入れてしまったりするわけです。

そのような未分化の状態から、日本など割と先進諸国であるような分離の状態に移行します。この分離の状態は退化ではなくて、それもまた一つのスピリチュアルの段階とみなされます。割とこの分離は悪者扱いされることがスピリチュアル業界では多いような気が致しますけど、この分離を学んでこそ次の段階へと進めるわけです。

それは説明としてはヨーガやヴェーダでいうカリユガの時代の説明とか、フラワー・オブ・ライフの螺旋状の成長の説明、あるいは神智学による解釈などがそれに相当します。

これは西洋社会を上に見るためのうがった見方だという批判も一部にはありますけど私が幽体離脱して過去と未来の自分自身の成長を見た結果、どうやらこの種の、一時的にでも分離を経験することはスピリチュアル的にとても重要だと判断しましたので、このお話は、西洋優位という考え方に結びつくのは良くないですけど、単にスピリチュアル的な階梯ということであれば正しいように思います。

これから日本も含めて世界の社会全体は、一度分離を体験した上での合一のスピリチュアルの段階へと移行します。

それは元々の未分化のスピリチュアルとは違って、個というものをある程度の基本としつつも合一された、全てが一つであることを知った上でのスピリチュアルになるわけです。

ですけど、もちろんそれには個人差があって、最初の未分化の段階に取り残されている人とか、分離の状態に取り残される人も出るわけで、その時は、社会全体がまた分離と未分化をサイクルで繰り返すまではなかなか次の段階に行きにくくなりますので、カリユガとかそのような分離の個を体験しやすい時代に個をしっかりと経験しておくのがいいと思います。

個というと語弊がありますけど、論理思考と言っても良いです。個の分離と論理思考は割とペアになっていて、実際はペアではなくて合一においても論理は働きますけど、個の分離があると論理思考がやりやすい、という面があります。そろそろ個の分離もしにくくて合一の時代になりますので、まだ未体験の人は論理思考と個の分離をセットに今の時代に経験しておくと今後の時代を生きやすくなると思います。