この、一見すると似ても似つかないものが実社会では割と混同されていて、悪なのにワンネスだからと言って容認されている状況があります。と、言いますのは、悪というのは一見するとそうだと見抜きにくく、社会経験がないと悪がワンネスかのように見えてしまうからです。何故なら、悪の存在はワンネスを主張することで自分の悪を覆い隠そうとするからです。
ですけど、決定的なのは、悪は最初こそ柔和な態度を取っていますけど最終目標が達成できるようになるにつれて横暴な態度に出るようになります。大阪の橋下徹や大阪府知事の吉村 洋文などは割と本性が出てきた方で、もはや隠す必要もなくなって親中を表に出していますし大阪を中国に売り払うつもりなのでしょう。
このようなことを大阪の人が許すのは、表面上は経済だとか人口だとか色々と言われていますけど、根底としては、ワンネスと悪との区別がついていないからなのです。
その区別ができていない、というのは、世間知らず、ということでもあります。日本の中でだけ通用する、義理と人情などというものはあの種の外来種にはありませんから、色々と穏やかなことを言って人々を納得させた後に貰うものさえしっかり取ってしまったらそれを返すことはなく、人々は永遠に失って初めて怒りが湧き出ますけど、中国は一度手に入れたものは二度と返すことはなく、取り返すには戦争しかありません。
そうなる前に大阪の人は選挙で維新を落とすべきなのに、ワンネスと悪の区別がついていないから、そのことをもっとざっくりと言うのならば世間知らずですから全てを奪われようとしているのにそれを許してしまうわけです。
悪は時折キレて自分のわがままな主張を貫こうとする点ですから、そこをしっかり見抜いて、選挙で落とす必要があるわけです。
これはきっと、日本人の全てが学びとして通り抜けないといけない点なのかなと思っております。誰か英雄が出てきて排除してしまうと日本人の学びができませんので、悪と言うものは表面上は優しくて、それはまるでスターウォーズで皇帝が議会の喝采を持って独裁を受け入れたのと同様、世間知らずが悪の演説に魅入られることで社会を悪へと導き入れてしまうわけです。
スピリチュアルというとワンネスで全てを受け入れる、みたいなお話が常識みたいに思われていますけど、本当のスピリチュアルであれば悪を見抜いて悪を切るようになります。常識で思われているスピリチュアルと実態の姿とはかなり違うわけです。
本当のスピリチュアルというのは何であっても全てはワンネス、ということですから、表面上で他人を受け入れようが受け入れまいが何をしようが全てはワンネス、ということです。ですから、世間で言われているように、他人の意見を受け入れるかどうかは本来のワンネスとは関係がないわけです。
本質で言えば他者のものを全て奪おうとして表面上は柔和な態度を取っている人であっても、その本質はワンネスということではありますけど、だからと言って常識で思われているようにワンネスだから受け入れなさい、ということにはならなくて、実際は、ワンネスだからこそ何をしようが選択肢は全てオープンで全ての選択肢に対して自分の行動というものは開かれているわけです。ですから、受け入れない、というのもワンネスですし、もちろん受け入れてもワンネスですけど、スピリチュアルを本当に分かっている人はそのような悪の人を本質ではワンネスと理解しつつ現象面では受け入れることはないことがほとんどで、逆に、切ることの方が多いと思います。
実際のところ、ワンネスという言葉は本来の意味はあまり理解されていなくて、ただ単に悪が自分の本当の目的を覆い隠すために都合よく使っているだけという現状があります。ですから、実社会で、特に政治などでワンネス風のお話を持ち出す人の三分の一くらいは詐欺師だと思った方が実態には近くて、残りは、よく分かっていないけれどもとりあえず真似をしている人たちや、あるいはごく一部、1割に満たないくらいで本当のワンネスを言っている人もいます。ですけど、割と目立つ主張をしている場合は、目立つということは広告のためにお金を裏で使っているということですから、目立つお話でワンネスというのが出てきたら何か本当の目的、特に悪の目的が裏にあると思った方がいいわけです。
私は日本に生まれて日本人ですけど魂の経歴から言えば宇宙系ですので、日本に住んでいるとはいえ、地球観点から言えば私は「ゲスト」に過ぎないわけです。ですから、こうして日本に住んでいて日本の人たちを見て「何を茶番をしているのだろう」とか「どうして日本人は悪をのさぼらせているのだろう」とか思っていますけど、きっと、日本人のそれなりの割合の人が目覚めないといけない時期なのかな、と思っております。
ただ、今のままいくと日本は中国の属国になりますので、早いうちに多くの人、それは少数の人ではだめで、大多数が目覚めないと、この地球上に存在している日本という楽園が永遠に失われてしまうこともあり得ます。
日本人は「分け与える」とか「慈悲」とか「人情」がわかりますけど、外国人は分かりませんから奪うだけ奪ってきて、日本人に同化することはありません。
確かに、少数の人が日本に同化するパターンもありますけど、それは割合というもので、日本人と同じくらいの人口の中国人が大挙して日本に押し寄せたら中華街が日本中にできるだけのことで同化はないわけです。
今のうちに日本人が目覚めないと、法律あるいは条例ができた瞬間にその法律に則って大挙して中国人がやってきて日本を乗っ取り始めます。
あるいは、それがなかなかできないとなれば中国人民軍が中国人の資産を守るためとか何か名目をつけて日本に居座ったら甘い日本人はそれを我慢してしまうこともあり得ます。
どちらにせよ、今は危険な状況で、中国人も日本と同じとか思っていると全部奪われてしまうことになるわけです。
悪は本当の目的に気付かれそうになるとまず「そうではない」と否定から始まり、ワンネスを持ち出したり論舌で誤魔化そうとしますがそれもできなくなると攻撃し始めて怒鳴ったり恐喝したり個人攻撃をして反対意見を抹殺しようとするわけです。武蔵野市長の外国人参政権のお話にしても周囲から批判されて今は「そうではない」と誤魔化していますけど、理屈で言い返せなくなってきたらそのうち恫喝が始まりまるのも時間の問題だと思います。
今、先兵として日本に来ている人は割と日本に同化したり、あるいは、柔和な人が先に送られてきていますけど、本隊として日本に移住しようとしてきている人は日本人とはかけ離れた性質を持っていますから、そうなったら日本の社会は破綻に近づくわけです。
リベラルとか言う人も同じで、リベラルと悪の違いを人々は分かっていないわけです。ワンネスだとかリベラルだとか言って自分たちの悪を覆い隠そうとしているわけです。演説で他者を納得させようとする人は、どこか疑ってかかるくらいが今の社会には合っているようにも思います。
スピリチュアルな人の生き方としては、物事をありのままに捉えて、偏ることなく、演説などに魅入られて本質を見失うことなく、相手が何であるのかを行動と発言を合わせて理解し、必要とあれば悪を切ることも辞さない態度こそが本当のワンネスに根ざした生き方であると言えます。
能の敦盛、
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
この境地というのはワンネスに根ざしており、ワンネスだからこそ何をしてもよく、であれば、悪を切って正義に生きるのも人の本望である、という理解に立っているわけです。
そして、その理念を姿で現したものが「剣」であり、皇室の三種の神器の1つが剣であるのもこの種の正義を貫いて悪を斬るために必要なわけです。なんでもワンネスでいれば全てが解決すると思っているお花畑の人は、もう一つ進んで、統合された合一のスピリチュアルを基にしたワンネスに進むことでこのことを理解することができるようになります。