特に都会ではざわざわしていて、仕事をしていればそれなりに葛藤もありますけどそのような日常の全てもサマーディへと融合してゆくように思います。
一方、人里離れた場所で静かに瞑想する、というお話もありますけど、そうは言いましても結局は導く師匠としての意識体などがそこにいる、みたいなことがほとんどですので、真の意味で人里離れた場所で一人で修行、ということにはならないように思います。
そうであれば、見える肉体を持った存在であっても見えない存在であっても誰がしかが近くにいるということであれば場所はあまり関係なく、それと同時に、日常生活というものもどこに住んでいても存在しているわけで、それ自体がサマーディと融合するという観点からするとそこまで変わりがないようにも思います。
特に都会は騒がしいですので修行になって、騒がしいからこそ精神が揺さぶられたり極度の緊張を強いられたりして、それでもサマーディを保つというところに修行の一環があるわけです。
修行とまでは言わないまでも普通に健康に過ごすという観点から言っても日常生活をどのように過ごすのかは重要で、瞑想というと座ってすることが基本ではありますけど、サマーディが深まるにつれて日常生活における瞑想状態が続いて行きますので、日常生活とサマーディを融合することが大切に思います。
その上で、極度に緊張することがあったとしても呼吸を保ってサマーディを保つ、みたいなお話もあると思いますし、そこまで行かないまでも、普通に覚醒を保ちながら暮らすだけでも十分、日常生活が豊かなものになるかと思います。