病気になって精神衰弱する

2021-12-01 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

先週末から喉の調子がまたおかしくなって、次第に風邪の初期症状のようなものも出始めて多少の発熱も繰り返していたわけですけれども、その後数日経った後、夜中にふと目が覚めたら割と精神衰弱の状態になっていて、久々にこのような状態になりましたので興味深い状態ではありました。

とは言いましても精神衰弱の状態においてはそのような生やさしい状態ではなくて、夜中の2時くらいに目が覚めた時は意識が動かなくて、ただ「自分」が全くなくなった状態、それは「意識」がほとんど動かない状態で、ただタマス(愚鈍な性質)の中に漂っている状態でした。

かと言ってネガティブな思いが湧き出てくるということはなく、ただ単に、タマスの中に沈んでいて、思考のない状態、それはつまり自分がないということと同義ですけど、思考がないからこそ自分というものがそこには存在しなくて、ただタマスの中に自分らしきものが微かにいました。

その時、意識が現れて来なくて、何かを思う、という機能それ自体がほとんど働いて来なくて、このまま意識がなくなったら私は死ぬのかもしれない、とふと思いました。

昔、子供の頃に精神衰弱した時は確か、変なイメージやネガティブな思いが次々と出てきて疲れ果てたような気がしたのですけど、今回の場合、何もない水面のような精神そのものがタマスの愚鈍な性質でできていて、その中に自分の精神が埋まっているというかまだ現れていないような状態で、思考というものがほとんどできない状態でした。

これは、瞑想中に現れるサマーディにおける覚醒とは違うもので、瞑想にまつわる歓喜の性質というものもなく、エネルギー的にはそこまで悪くないのですけど、体全体がタマスの愚鈍な、例えるならば粘土のような体のように感じられました。

その粘土のような体が横たわっていて、精神がほとんどまだ現れていない状態、それがタマスなのだと理解しました。

実際のところ病気それ自体はそこまで重くはなくて薄い影になって意識を覆っているという感じではありますけど、精神面にこのような変化が現れるとは意外でした。

まるで、私の精神のうちの大半が体を抜け出して、体の部分には少しだけしか残されていないかのような、そんな感覚もあります。

もしかしたら、それが本当かもしれなくて、実のところ夕べの瞑想の前に予感があって、夕べの瞑想において精神のある程度の部分は幽体離脱のようになって他の人生を体験して、その経験を積んだ精神がまた私の体に戻ってくる、みたいな予感がありましたので、私の体の方は、その残された方の精神なのかもしれません。

であれば精神衰弱のように感じられるのも当然のことで、その後、割と回復してはきましたけど、何か、半分は抜け殻のような感じもしています。

このような時は自分の大元であるグループソウルあるいはハイヤーセルフと言っても良いですけど、そのような自分にまつわる神様に頼るくらいしかすることがなくて、そういえば本山博先生が「瞑想が深まってくると悪に出会ったり色々なことがあるので、どうしても神に頼るという信仰心が必要になってくる」みたいなことを言っていたように思いますが、生きている人間に頼ることもできず、神頼みしかないという状態は確かにあるものだと思います。

今回の場合、すぐに死ぬとかそんな状態でもなかったようにも思いますけど、そのままタマスの深淵に引き込まれて自分というものが消えてゆく、という感覚になって、そのタマスというものはある意味この地球そのものではありますので地球と一体化するというのも悪くはないようにも思いましたが、私の場合、それが本当に良い・望ましいことなのかわかりませんでしたので、とにかく自分の御本尊であるとある天使やずっとあの世で一緒に暮らしている元妻とかの意識体のことを思って祈ったり助けを求めたりして夜に横になっていました。していたことは割とそのものズバリで「お導きください」「助けてください」とかそんな感じですけど、その願いが通じたのか、次第にタマスの愚鈍な泥のような感覚は減ってゆきました。

これは、病気というトリガーはあったものの、もしかしたら病気になって精神が弱ったことでこの世のベースになっている地球の泥のような意識と繋がったのかもしれません。地球の意識というのはムーラダーラ・チャクラと繋がっていてそれは土の性質ですので、泥として感じられたということは、地球と一体化した、ということなのかもしれません。仮説ですが。