瞑想が深まると1日がとても長く感じる

2021-12-19 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

子供の頃、おそらくほとんどの人は1日がとても長かったかと思います。
年を取るにつれて1日が短くなり、時間が短く感じられるようになり、月日があっという間に過ぎるようになります。それが大抵の人に当てはまるのかなと思います。

無意識で生きていた頃は私も似たようなもので子供の頃は1日が長かったですけどその後に次第に無自覚になり無意識のまま生きる時間が長くなり、結果、月日が流れるのがとても早くなりました。

とは言いましても辛いことがあればその分だけ月日が流れるのが遅くなり、1日がとても長く感じられたこともありました。

とは言いましても、ここで言いたいのは辛いという理由で日を長く感じるとかそういうことではなくて、瞑想が深まるにつれて1日がとても長く感じられるようになる、ということです。

瞑想が深まるということはいわゆるサマーディ状態が継続するということであり、微細な感覚を自覚できるようになります。

そうなりますと、今まで体を動かすにしても無自覚にロボットのように動かしていた状態から自覚的に細かく動かすようになります。

すると、時計の時間の動きはもちろん変わらない筈なのですが意識が認知できる事象が増えて細かく把握すること及び細かく行動することができるようになったが故に、その結果として、1日が長く感じられるわけです。

朝が始まって昼になり、夜になる。

その間、自分の認識というものがどんどんと変わっていって朝と夜とは割と細かいところで別の認識状態になっていたりします。物事に関する認識の変化や、自分自身の健康状態、あるいはオーラの状態などにも変化が現れます。たった1日でも随分と変化があるものです。

そうしてまた翌日、また1日、と過ごすのですが、無意識的に暮らしていた頃と比べると随分と長い1日を過ごしているものだなと思います。

これは、嫌なことがあって1日がとても長く感じるのとは全く違っていて、認知が行き届くが故に長く感じる、ということなわけです。

夜になってその日の朝のことを思えば随分と長い時間を1日で過ごしてきたものだ、と感慨深くなることもあるわけです。

ただ、それと同時に、遠く離れた時間の出来事であっても同時並行で存在していると感じるようにもなりますので、ここで言っているのは遠い時間を想像して感慨深くなるというよりは、ほんのりと見える今日という日を省みて哀愁漂う感覚に似ているわけです。