少数が大多数に与え続ける社会

2022-01-02 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想で見えてくる、一つの未来の可能性です。

今は資本主義社会で少数が大多数から搾取し続ける構造になっておりますけど、今後、可能かどうかは別として、少数が大多数に与え続ける社会に変革する必要があると思っております。

とは言いましてもそれは人の認知が変化しただけのことで個々の労働という観点からすると実はさほど違いがないものになります。

それは、一体どういうことでしょうか?

今の資本主義の構造においては資本家が資本を蓄積し、人々は自由の名の下に「やりがい」というものを与えられて低賃金の労働につくことになります。最近の新自由主義などの台頭により人々が自由にやりがいを感じていさえすればいくらでも安く労働させて良いという風潮が広がっているわけです。

労働者は社畜となり資本家のための奴隷に近い存在になるわけです。

一方、似てはいるものの、資本家が大勢に与え続ける社会においては、資産家とは言ってもその労働は資本家以外の人が行うものですから、実質、労働という観点からすると今までとさほど変わらないわけです。

ですけど、異なるのは人々の認知で、資本主義においては人々は「自由」と「やりがい」によって社畜が正当化されていた一方で、与え続ける社会においては、人々は資産の分配のための作業員になるわけです。

与え続ける社会においても実際は労働者は必要で、個々の業務という観点からすると実は今までとそう変わりはないのですけど、認知において「資源の分配のための公のスタッフ」として現状の会社員も公務員も全てがそのように認知されるようになると社畜というものは消え、会社ですら公共の資源を分配するための組織に変わるわけです。

今でもそのような認知をしている会社があり、長く続いている老舗のような企業であったりするわけですけれども、最近では資本的に続かなかったりして破綻したりしています。と言いますのも、現在の経済システムに従っている以上、税金や利息あるいは諸費用の負担が大きすぎて、相応の資本があって経営にこなれていなければほぼ破綻するような状況になってしまっているからです。まともに経営しようとすると新自由主義のように労働者搾取しなければ企業の存続すら危ぶまれてしまう状況になってしまっているわけで、それ以外の選択肢はほぼなくなってしまっていると言えます。

このような状況下では、少数が巨大な資本を持って大多数に与え続ける社会を作るしか打開策はないのではないか、と私は今のところ考えております。これはまだ最終的な結論ではなくて私の認知上の変化でもあるのですけど、資本主義というものがどのようなものかわかってきてからは、次第にこのように考えるようになり、それは、わかりやすく言うのであれば「国王、あるいはそれに準ずる人が国民全員に対して与え続ける社会」が理想的なものになります。今の社会には国王はいませんので、現実的には相応の資本家が自らの可能な範囲において自分ができる範囲で人々に与え続ける社会、というのが現実的な解になります。

実際のところ、私がここ最近の一連の転生を行う前は資本主義というものがそもそもよく分かっていなくて、特に今回の最後の転生をする前は「貧乏人」というものがどうして存在して貧乏人がどのような思考をするのかほとんど理解できずにいましたので、実のところ前の人生までは貧乏というものはほとんどしたことがなくて裕福だったわけですけれども、今回の人生の目的の1つがカルマの解消だったためにどん底に自分を叩き落とすついでに今まで経験したことのない「貧乏人」というものを体験してみることで人々を理解する助けにしようと思ったのでした。

今回の人生を割と貧乏で過ごすことにより貧乏人がどうして「ひねくれ者」なのか多少なりとも理解することができるようになりましたし、貧乏人が欲望を繰り返すことにより更に貧乏になってストレスが高まるというサイクルをも理解することができました。これらはモデルとして「勉強」することはもちろんできるわけですけれども、モデルとして理解するのは不十分で、実際にどのようなことなのか身近で体験したり多少は自分でその輪の中に入ってみたりすることでかなりの学びがありました。

就職してからは実際に社畜として働く人々と一緒になって働いてみたりして、社畜がどのようにして飼われてメンタルを壊して捨てられてゆくのかの実際の姿を理解することもできました。

この種のお話は次々に新しい認知が生まれてきており、社畜を社畜として回転させるために上記の「やりがい」だけでなく新たな「理由」が与えられて認知が上書きされてゆくことで搾取し続けるシステムであると理解しました。「やりがい」という理由が使えなくなれば次の理由を与えて社畜を存続させる構造なわけです。

そのような資本主義のシステムを肯定してしまうと自分が社畜になるかあるいは搾取する側に回るしか選択肢がなく、搾取する側に回ることが人々のゴールになってしまっていて、全員が幸せになるというところになかなかならないわけです。

そのような自由な資本主義に未来はなく、一部の有力者が富を与え続ける状況に転換するしか打開策はない、というのが私の今の考えです。

これは国がそのような方向に転換できれば一番良いですけど、今の状況においては搾取が一層加速される危険性もありますのでなかなか難しいと思っており、そうであれば、圧倒的な資本を持った資産家が出てきて大勢に与え続けるという影響範囲を可能な限りで広げてゆくしか今の状況を打開する策はない、と思っております。

これは一見すると「そんなこと不可能なのでは」と思えてしまうお話ではありますけど、それよりもむしろ、とても力を持った存在が「よし、やってやるか」と「決断」するかどうかのお話でもあります。これが可能な人は限られているわけですけど、可能な人が決断すれば実はそう難しくはなく、そのような人が少しずつ増えるだけでこの社会は変わってゆくわけです。

人々が社畜から「分配する人」に変わるわけです。