6次元のハイヤーセルフと繋がって一体になるプロセスを徐々に経てきているわけですけれども、そのハイヤーセルフの更に大元になるようなグループソウルがあります。そのグループソウルとは、ハイヤーセルフから見たら「雲」のようなモヤモヤしたものですけど、実際には、そのグループソウル自体が一人の人格を持っていて、例えるならば、ハイヤーセルフは容量の小さな電池でグループソウルは容量的に大きな電池、と言うこともできます。ですから、その質としてはそれほど変わらないように思うのです。
自分のハイヤーセルフがグループソウルから分離して分霊になるわけですけれども、その分霊はまたグループソウルに戻ることが期待されています。そのまま分離したままの場合もありますけど、割と多くの場合はグループソウルにまた戻るように思います。
そのようにハイヤーセルフとグループソウルという関係がある時、グループソウルからしたら自分から一時的に分かれた分霊が別の人生を送っているわけで、時折、その分霊の人生を興味を持って「外」から眺めることになります。
そして、ハイヤーセルフとしての、分霊としての人生を終えたらグループソウルと一体になり、その後は「同化」することにより経験を取り込みます。その時、分霊のまま連続して何回か人生を繰り返してからグループソウルに戻ることが多いように思えて、戻る時は、単に戻る時と昇天して戻る時があるように思います。
戻り方には色々なパターンがあって、結局はオーラの同一化、融合化ですのでどのようにも一体化は可能なのですけど、ハイヤーセルフの方が能動的に単に戻る時は自身のことを忘れていない時で、その時は波動が落ちていない場合が多くて、波動が落ちている時はハイヤーセルフは自分というものを忘れていて昇天という形で実のところグループソウルからの導きでようやく戻ることができるように思います。その一方で、波動に関係なくお互いの意思・同意で戻る時も多々あるように思います。
そんなグループソウルなのですけれどもハイヤーセルフからしたら雲のようにも見え、と同時に、グループソウルとしての人格、人の形をした存在のようにも見えます。どちらも正しくて、ハイヤーセルフとしての分霊の自分を生きていると、時折、グループソウルが自分(ハイヤーセルフ)の人生を上から覗き込んでいる、と感じる時があります。
その時は、生きている自分からしたらちょっと上空から「大きな顔」が現れて、ちょっと「下」を覗き込んでいるような感じで下目になってこちらを上から興味深く見下ろしているのを時折感じます。その瞬間は「見られている」のを感じて、どんな存在がこちらを見ているのかもはっきりとわかるわけですけれども、グループソウルとしての意識体が大きな顔、それは具体的なイメージを伴った顔なわけですけれども、大きな顔がこちらを見下ろして、しかも、感想をその都度何か言って(思って)いるのまで伝わってくるわけです。
その感想はこちらの参考にもなって、時空を超えた存在であるグループソウルの意思、それは人格としての自分の根源の意志でもあるわけですけれども、その認知は大概の場合は自分より優れていますので参考になるわけです。とは言いましても、そもそも自分としてのハイヤーセルフが分霊として分かれたのはグループソウルが何かを知りたかったからなのであって、今の人生で細かく知ろうとしている事柄に関してはグループソウルよりも自分の方が詳しかったりします。まだ分霊として分かれた状態ではその細かな部分の知見はグループソウルに伝わっていなくてきちんと伝わるには死後に分霊がグループソウルに融合するまで待たないといけないですけど、それでも、グループソウルが時空を超えて感想を伝えてくれることは分霊の自分としては生き方の参考になるわけです。