愛が広がって地球の悲しみと混合すると慈悲になる

2022-02-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

慈悲というものが何なのか直感的にいまいちわかっていなかったわけですけれども、瞑想の中で探っているうちに、どうやら、それは愛(溢れ出る感謝)と悲しみの混合だということがわかってきました。その上で、改めて文字を見てみると、言葉の中にきちんと「悲」という文字が入っていて、どうやら文字がそのまま意味を示していたようです。

これは、瞑想の中では「感謝による愛」と「広がり」という二項軸で理解しました。

愛の高まりは自分の胸のハートの根元から始まるわけですけれども、最初は個という感覚だったものがやがて広がってゆき、まずは近くの空間、そしては住んでいる地域、というように広がって行きます。その、広がってゆく際に、その地域あるいはざっくりいうとこの地球が抱え込んでいる悲しい出来事が丸ごと感じられるようになって、それ故に、自分自身の感謝の愛が広がるにつれてその愛が地域あるいはざっくり言うところの地球が持っている悲しみと混ざり合って、悲しみと愛との混合である慈愛が生まれるわけです。

自分の感覚が遠くにまで広がってゆくわけですけど、まず、広がるのは愛なわけです。ですけど、愛が単純にそのまま広がっていくわけではなくて、愛がその空間にあるものと混ざり合いながら広がってゆくわけですね。

そして、今の地球のオーラというのは砂漠のような赤茶色の荒廃した悲しみのオーラでありますから、地球のオーラを感じたときに悲しみを感じて、それと自分の愛とが混合しあって、慈愛という形になると思うのです。

ですから、慈愛というのは、愛と悲しみの混合であるわけです。

混ざり合うと語弊がありますけど、階層が違うところで、浸透する、という形でしょうか。雑多な物質や雑多なオーラ、雰囲気は混ざり合いませんけど、その根底にある、神々の質とでも言いましょうか、ヨーガでいうとイーシュワラとかブラフマンとか言うこともできるかとも思いますけど、全ての空間に満ちている根底にある共通したものがあるという実感が身近なところから少しずつ深まってゆくわけです。

そして、広がってゆくものは感謝の愛で、感じられるものがこの地球あるいは地域のオーラであって、今の地球は悲しみに満ちていますので、慈悲が感じられるわけです。

同じような言葉に慈愛がありますけど、これは感謝を伴う愛と言ってよくて、そこに悲しみはないように思います。割と個人的な視点で、個の存在として愛が高まれば自愛になるのかなと思います。

ですけど、やがてその愛が更に広がっていって、地域、そしては地球のオーラを少しでも感じられるようになると、地球には悲しみがいっぱいで、個としての自分は慈愛でも、地域をみるとそれは慈悲になるのかな、と理解しました。

ただ、思うに、これは見方だけの違いで、おそらくそこに、それほどの違いはないのかな、と思います。

補足ですが、調べると「慈悲は仏教用語で慈愛はキリスト教用語」、という意見もあったりして、この意見もなるほどな、と思います。