タイムラインというのは順番に作られるわけですので、一旦は行ったタイムラインでうまくいかないとわかった時は時間を逆戻りしてやり直すわけです。その時、一旦行ったタイムラインが影あるいは残像のように残りますので、それが今のタイムラインからあたかも未来のように見えているわけです。
実際のところ、本当の意味における未来というのはあるようでいてなくて、あると言えばあるのですけど、未来は現在の意思次第で自由に変えて行けるものなわけです。
高次元から雛形のようなものが降りてきて、おぼろげながらタイムラインの原型が作られますけど、それでも、各自の自由意志というものが働く余地があって、必ずしも原型通りにはならないわけです。
その上で、タイムラインが形作られた後に高次元から「それはちょっとイマイチだ」ということで修正がかかると、現在のタイムラインの先あるいは少し戻ったところからの雛形がまた高次元から降りてきて、その時、未来がそのまま続くこともあれば、少し戻ってからタイムラインをやり直す場合もあるわけです。
このような時、本当の意味で、高次元からの雛形を見ることができる人というのは稀で、それはタイムラインというよりは「意思」であって、それが意思である以上、実際のタイムラインは「見てみる」まで存在しないわけです。高次元の「意思」が先にあって、その意志が「これはどうかな」と思って実際の姿を「見る」とそこに初めてタイムラインが発生して、現実が創造され、そこで初めて、予言可能な状態になるわけです。
現実が創造されるときは、驚くことに、全時間に渡って一度に創造が行われるように思います。人間のちっぽけな意識ではタイムラインのそれぞれを認知することしかできなくて、たとえ幽体離脱して時空を超えたとしても一度に見ることができるのはタイムラインの特定の瞬間それぞれであり、幽体離脱した状態で時空を超えてみることができるとは言っても、その認知には限りがあるわけです。
一方、神様・・・ と言って良いかと思いますが、実際は神様とは言っても、我々の人間の意識よりも遥かに凝縮されたオーラ量それ自体がとても大きな純粋な意識体のことで、それは本質的には人間とは変わらないのですけど、神様と言われるような存在ですとオーラ量とその純粋さが桁違いなわけです。その、神様と言って良い存在が「こうしよう」と決めると現実が創造されて、タイムラインが一気に現実化されます。ただ、そうは言いましても、創造には時間軸の限りがあるようで、その意志が届く範囲において、神様が意図した範囲において時間軸が創造され、その先は何もないわけではないのですけど、その限られた時間軸における認知が進んでいって人々の意識が一定にまで高まるとその認知を受け取った神様が満足して、次の時代へと進む、というようなことが行われているようです。
ですから、時代というのは何度もやり直すことがあって、その時代におけるレッスンを完遂しなければタイムラインを遡ってやり直しになるわけです。
最近の場合、核爆発で地球を吹き飛ばしてしまうというタイムラインの悲劇が頻繁に起こっていて、とても数えきれないくらいタイムラインをやり直してます。このタイムラインがうまくいくかどうかは人類次第ではありますけど、少なくとも、未来を予言してる人のほとんどは実際には未来を見ているわけではなくて、既に失敗してやり直す前のタイムラインを見ていることが多々あるわけです。
本当に現在のタイムライン上の未来を見ている人もいないことはないですけど、それはネタバレですので本当の未来を見ることにさほど意味はなくて、見ることができたとしてもつまらなくなるので見ない、あるいは、そもそも未来を見ることに興味がない、ということが大半で、ですけど、既に失敗した事例を未来予言として見ることには多少の教訓としての意味があるわけです。
テレビ番組の「撮影の裏側」みたいな特番でどのように映しているのか特集されたりしますけど、そこでネタバレはしませんよね。未来を見るというのは、所詮はその程度の物珍しさくらいの意味合いしかないわけです。