以前は割と大きな変化で静寂の境地に至っていたように思いますが、特にここ1年くらいは基本的に徐々に静寂の境地に至るような気が致します。それが最近は更に段階が微細になってきて、体の各所がそれぞれ少しずつ瞑想中に変化してその部分が重点的に静寂の状態に変わってゆくのを感じます。
これは静寂の境地ということもできますし、他の言い方をすれば、その部分のタマス、あるいは、モヤモヤとした未浄化のオーラが浄化される、クリアされる、ということもできます。言い方が違うだけで同じことと言っても良いと思います。
それは、以前の状態が「堰き止められていた川が一気に流れ出す」という感じだったのに対し、今は、「平らな乾いた土地に水が少しずつ流れてきて水が隅々まで行き渡ってゆく」あるいは、「水を入れていなかった田んぼに(農耕期になって)水を入れて隅々まで水で満たす」という感じに似ています。昔はエネルギーの流れを堰き止めている何かがあって、それを越えると静寂の境地に至っていました。今はそれがほとんどないので、少しずつエネルギーが各所に至るのを感じます。
昔も今もエネルギーを身体中に満たすという点に関しては同じですけど昔はかなり力と時間が必要で、今は、比較的に短い時間でエネルギーが行き渡るような気が致します。
エネルギーの主要なルートであるスシュムナは背骨沿いに沿って通っているわけですけど、頭のあたりは後頭部の「半歩」を通って頭頂のサハスララにまで通じていて、特に最近感じるのは、その半歩の部分がよく通るようになってきたのでその半歩で以前よりエネルギーの妨げがなくなってきたように思います。
以前は半歩をエネルギーが通る時につっかかったり詰まったりしていて瞑想中にその部分を超えてエネルギーを上に通そうとするとなかなかうまくいかなかったり時間がかかったりしていましたけど、最近は、瞑想する最初こそ通りが良くないということはあったとしても瞑想すれば割とすぐに半歩の部分にもきちんとエネルギーが通るようになって、半歩の部分のエネルギーの通りがかなり安定してきたように思います。
この種の、エネルギーの通りの良し悪しについては、かなり以前はスシュムナのマニプラ付近とか喉の部分とか各所で同様の詰まりと解消という段階を経てきましたので、そのような段階を踏まえると、ここも同様なのかな、という気が致します。最初は全然エネルギーの通り道ができていなくて、元々子供の頃は存在していたのかもしれませんけど少なくとも今は詰まっていて、それはこの世界の日常生活や習慣あるいは環境が原因だったり色々な原因が考えられますけどとにかく詰まっていて、それでも、最初はクンダリーニの覚醒からが最初ですけどそれでもエネルギーのルートは詰まりがちなのが最初で、通しては詰まってまた通してを繰り返すうちに安定してきて、ということを各所で行ってきて、既に体の部分はほとんど安定してきて細かな調整のみになってきたわけですけど、後頭部の半歩の部分は多少詰まることはあって、それでも半歩は以前よりも割と安定してきたように思います。その、詰まりが解消される時に、ガッツリと詰まっている場合は急激な変化として静寂の境地に至るわけですけど、それほど詰まっていない時は部分ごとに少しずつ徐々の変化として静寂の境地が深まるような気が致します。