ハイヤーセルフの3つの解釈

2022-08-08 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

私という分霊が分離した大元である元の大きな魂は、私が帰る先とでも言える大きな魂です。

元々私はそれをグループソウルとしての大元の魂として認識していました。私は幽体離脱で知ったことを知識のベースにしていて、その時に把握したことに基づけば色々な要素があるのですが、そのうちどれがハイヤーセルフのことなのかそのものズバリがなくて、いまいち判断がつかないでいました。30年以上前からハイヤーセルフとか言われていたように思いますが、その、ニューエイジやスピリチュアルでよく言われているハイヤーセルフというものが何なのか、その実態が、長年、何となくわかるようでいていまいちよくわかっていなかったのです。

最近思うのは、様々な概念が人や団体によって個別にハイヤーセルフを解釈していると言うことです。ハイヤーセルフと言う言葉やスピリチュアルの言葉を使って理解しようとするからハイヤーセルフのことがよく理解できなかったりするわけですけど、それよりも、幽体離脱や瞑想で直接的に知った事実を元あるいはヴェーダンタなど各種の知識を組み合わせることでハイヤーセルフと言うものの実態を理解できるように思います。

そうして、今思うことは、ハイヤーセルフと言うものは各種の概念の集合体になっているということです。元々分かりにくかった概念が、人々の想像や流派における使われ方の遍歴を経て、元々は1つだったのかなとも思うのですが、様々な意味合いを持つようになっているように思います。

そのように、ハイヤーセルフというのは流派によって意味合いが異なって、スピリチュアルやニューエイジでおそらくは言いたかったであろう意味が1つと、一般的に解釈されているであろう意味が大きく分けて2つ、更に細かいものも含めると3つの意味があるように思います。

・スピリチュアルの主流は、単に魂のことをハイヤーセルフと言っている場合です。
・もう1つは、ハイヤーセルフをグループソウルという意味合いで使っている場合で、おそらく元々はこれをニューエイジでは言いたかったのかなと思います。
・3つ目として、自分自身のスピリットが時空を超えて自分自身に働きかけている場合です。


ハイヤーセルフとグループソウルは同じだったりそうでなかったり

繰り返しになりますが私のこの辺りの認識の元としては子供の頃に何度か体験した幽体離脱で、私が分霊になる前の巨大な偉大な魂、それは私の魂の容量の1000倍はあろうかという大きな魂ですけど、それはそれで人の形をしていて人格と言えるようなものもあるのです。

それは私にとっては魂が帰る場所でもあり、私がその一部ということから、一応はその大元の魂も(説明付きで)「私」と言ってもそう差支えはないかと思います。とは言いましても、その大元の偉大な魂・存在が「私」であると言うにはあまりにも違いすぎておりますので、私といえば私ではありますけど、それよりも、素直に分霊と言った方が分かりがいいかと思います。

そのような観点からすると分霊とその大元という関係、あるいは、大元の存在がグループソウルで私はその一部、という関係が私の理解でした。そこにハイヤーセルフという言葉は出てこないのです。ですので、ハイヤーセルフというものが、私にとって長らく、どうも腑に落ちないでいたのです。

私は幽体離脱した時に大元の魂の存在を間近に見たり、あるいは、ことあるごとにグループソウルの中に溶け込んだりしましたのでわかるのですけど、それを、たとえ「ハイヤー」とつけたとしても「セルフ」というのはおこがましいほどにオーラの量にしても知識にしても認識にしても違いすぎるのです。大元の魂のことは知っていますのでそれをハイヤーセルフということも用語的にはできますけど、セルフというにはあまりにも違いすぎるのです。

それは見方によってグループソウルということもできますし、ハイヤーセルフということもできるかと思います。あるいは、分霊の大元の魂、と呼んでも良いと思います。グループソウルの中に溶け込んでしまえば自分もグループソウルと一体になってしまいますからセルフというのも間違いではありません。一応は自分であることに違いはないと言えばそうですけど、存在として、あまりにも違うわけです。

そのように、グループソウルがハイヤーセルフ、という見方があるわけです。


スピリチュアル的にはハイヤーセルフはグループソウル相当

一方、単純に、自分の魂がハイヤーセルフ、という見方もあります。自分自身の魂は自分の意識そのものになりますので、それは普段あって当たり前の意識そのものであるわけです。これは通常、何の変哲もない普通の意識のことではあるのですけど、稀に、唯物思考や葛藤、あるいは動物から人間になって間がなくて意識がそれほど発達していない場合はこの自分自身の魂としてのハイヤーセルフにすら繋がれていない場合があります。その場合は、自分の魂のハイヤーセルフにまず繋がってから、その次に、大元のグループソウルである根源に繋がる、という順番になります。とは言いましても、多少ながらスピリチュアルに興味がある人の場合はこの段階は既に抜けている場合がほとんどだと思いますので特に問題にはならなくて、一応、自分の魂がハイヤーセルフだという、単純な見方もあるのだな、というくらいの理解でいいと思います。

段階的にはそのように自分の魂がハイヤーセルフという状態に至って(まあ、大抵は最初から当たり前だったりしますけど)、次に、グループソウルとの接触になるわけです。

グループソウルは自分が生まれ出た大元ですからグループソウルの側からも自分をことあるごとに気にかけていて、色々と見解や指示を出してきてくれます。見解にせよ叡智にせよ知識にせよ段違いですので、グループソウルの言うことの方が大抵は正しいのですけど、それでも分霊として地上に降りているのは、そのようなグループソウルですらもよくわかっていないことを探求して知識や見解を深めることが目的になっているわけですから、グループソウルの方に見解を分け与えるとグループソウルにとても喜ばれたりします。

ハイヤーセルフとグループソウルの関係を書いた時にも書きましたが、スピリチュアルをやる人からすれば、グループソウルのことをハイヤーセルフと思っても、そうは間違いではないと思います。ですけど上に書きましたようにセルフというにはあまりにも違いすぎるという点はありますけど、既にスピリチュアル業界では知られた言葉になっていますので、その点などを押さえて、一応「用語」としてハイヤーセルフと言う、というくらいなら、理解した上でその用語を使うのならばそれほど問題にはならないかと思います。

そもそもハイヤーセルフと言う言葉はニューエイジ時代にチャネリング等と関連して出てきた言葉だと思いますけど、自分自身とのチャネリングというのは存在しなくて、と言いますのも観察や通信をするには分離して別の存在になる必要があるのですけど自分自身の魂と自分自身はチャネリング(通信)というのは存在しないわけです。ですからチャネリングであれば必然的にハイヤーセルフと言う言葉はグループソウル相当の、自分の大元である根源の巨大な偉大な魂になるしかないわけです。

その文脈からすると、ハイヤーセルフと言うのがグループソウル相当ということになるわけです。


自分自身がスピリットとして時空を超えて自分にコンタクトする

この場合、私はこのスピリットは単にスピリットと呼んでハイヤーセルフとは(あまり)言わないですけど、位置付け的には、この、時空を超えたスピリットのことをハイヤーセルフと呼んでもそれほど差し支えないかなとも思います。

例えば、子供の頃あるいは別の人生のスピリットが今の自分にコンタクトしてきた場合、それは見ようによっては自分自身ということもできますし、あるいは、グループソウル繋がりの分霊と言うこともできますし、ハイヤーセルフと言ってもそうは間違いではないのです。

子供の頃のスピリットが自分の人生の未来を方向付けてタイムラインを調整しようとしてコンタクトしてきている場合もあります。一方、別の人生に直接的にコンタクトする場合もあるわけです。

その場合、顕在意識からするとなかなか見分けがつきにくくて、単なる守護霊だと思ったり、ハイヤーセルフだと思ったりするわけです。

人によっては守護霊が自分自身の過去生あるいは未来生だったりもして、それを守ってもらっている本人が自覚している場合もあります。ですけど守護霊は必ずしも自分自身のスピリットとは限らなくて、繋がりのあるスピリットだったりするわけです。

スピリチュアルやっている人で、人によっては守護霊は自分自身の過去生あるいは未来生だ、と言うように決めつけて言っている人もいますけど、私が思うにそういう場合もあるにはありますけど、そうばかりとは限らないと思います。

スピリットが時空を超えて自分自身に関与すると言うのはよっぽどのことで、そのままだとかなり悲惨な人生になるので人生を調整するとか、あるいは、あまり仲の良い頼めるスピリットがいないような孤独な魂である場合もあったりするわけです。ですけど大抵の場合は色々な縁があって、頼めば守ってくれる人がいるのが普通なわけです。

多少なりとも自分の魂と繋がっているとそれだけでハイヤーセルフ、と言っている場合があるということです。

その言い方はそこまで間違いでもないですけど、私はいつも、ハイヤーセルフと聞くと「何のことだろう」と、選択肢がいくつも頭の中にずらずらと出てきて「どれのことかなぁ」と思ってしまったりするので、ハイヤーセルフと言うよりも、もっと具体的に言ってもらえた方が有り難かったりします。