魔という言い方は流派的なものですけど、実際には魔というよりは単に忘れていたトラウマが蘇ってきて瞑想を妨げる、ということだと思います。流派によってはこれをインナーチャイルドと言ったりもします。この克服の方法は沢山あるのですけど、スピリチュアルですとインナーチャイルドを認めて癒してあげる、という方法を取りますし、神智学などではこの種類のものを越境の守護者と言ったりします。はたまた、別の流派においては、ヒーリングあるいは何がしかの術を用いてこれらの種となっている核のようなものを吸い取ったり、あるいは、細かなものに分解して排除あるいは破壊したりします。
克服には色々な方法があるのですけど、瞑想において基本となるのは「雑念は気にせず、そのまま置いておけば次第に力を失って消えてゆく」ということです。
時に、トラウマの力があまりにも強くて強烈な拒否反応や叫び、あるいは体の反応など様々なことを引き起こす時がありますが、それは、トラウマが外に出て力を失ってゆく時に体と心が反応しているのですから、割と理に適った反応なのです。一般的にはそのような反応は理解されにくくて心理分析などの対象にもなってしまいますけど、瞑想という観点から言えば、それなりに瞑想が深まってくると今まで日常生活で抑圧されていたものが表に出てきますので、その過程で色々なものが体と心と反応として外に見える形あるいは心の中に現れてくるのです。
スピリチュアルな成長をする修行の場において先生となる立場の人はこの種のことを理解している必要があって、一件すると精神的に問題がある場合に見える生徒であったとしても、それが日常生活を送れないほど問題になっているのか、あるいは、瞑想したことで深く眠っていたトラウマが蘇ってきたために表に出ているのか、見極める必要があるわけです。
スピリチュアルな修行をしていると時にトランス状態になって意識が半ばない状態で見たり聞いたり話したりをしたりすることもありますので、そのような時に、特に先生となる人は、生徒がトランス状態になっているのか一件すると見分けがつきにくいこともありますけど、様子がおかしい時は正気に戻るよう声をかけて刺激を与えてあげるとかして、トランス状態で良くない状態に入り込んでいる場合は助けてあげる必要があるわけです。
トランスが必ずしも悪いわけではなくて、正しく目的に即してトランスしている場合は良いトランスなわけですけど、トラウマが蘇ってきて意識がそれに奪われている場合は相応に対処してあげる必要があるわけです。
■魔を避けるスピリチュアルと避けないスピリチュアル
流派によっては、魔(あるいはトラウマ)から逃れられるとか破壊できるとか言って、避けたり排除・破壊する術を教えているところがあります。一方、魔を正面から受け止めて克服させる流派もあるわけです。
どっちもどっちで、個人の自由ではありますけど、魔を避けたり排除・破壊したりする流派は魔がやってくる度に対処しなくてはならないので割と面倒ですし、魔に対する根本的な抵抗力というものがなかなか育たないような気がいたします。その上、ずっと避けてしまったが故にいざ魔に遭遇してしまった時のダメージも大きかったりしますし、避け続けているうちに段々と疲れてくる傾向があるように思います。結局、自分の波動がそれほど高くないがために避けたり術を使って排除・破壊しているわけで、波動が高ければそれほど気にすることはないのです。
スピリチュアルで魔に遭遇するのは必然で、魔に遭遇していないということはスピリチュアル的には割と初心者で、魔に遭遇していないということは瞑想がそこまで進んでいなくて、単に体や気の次元(ヨーガで言うプラーナ)で元気になって喜んでいるだけなわけです。
魔を避ける流派の傾向としては、多少ながら魔に遭遇し始めるとその魔を良くないものだと思ったり、瞑想中に良くないトランスにはまり込むとこれまた良くないと思ったりします。
一方、魔を必然だと考える流派もあります。
ヨーガや神智学あるいはヴェーダンタなど各種のスピリチュアルでは人の階層を幾つかに分けていて、物理的なもの、アストラルなもの(気の次元、プラーナ、思いの世界)、コーザルの世界(原因の世界、カーラナ)、プルシャ(あるいはアートマン)などに分けていますけど、このうち、思いの世界であるアストラルを通過するためにはどうしても魔が出てくるわけです。
仏教などではこれを魔境と言って避けていますけど、アストラルなものを通過せずしてその先はないわけです。
又、術などで避けたり排除・破壊したとしても日常生活を送る上で新たな魔は多少ながらやってきてしまいますから、そのような術や手法に頼ってばかりいても、真の安永には程遠いわけです。
短期的には術というものも手助けになるでしょうし、とても苦しんでいらっしゃる方を助ける一時的なヒーリングなども必要かと思います。ですが、長期的な解決とは別なわけです。
それに、そもそも特定のトラウマを理解するミッションもあるのですから、必ずしも魔が悪いということはなく、全ては必然なわけです。全ては許されていて全ては正しいのですから、魔を避けるも克服するも好きにすれば良いというのが基本なのですけど、長期的に解決するには避けるより自分の波動を上げて影響されないようにした方が良いわけです。