アナハタの神意識が出てきた時点で既にハイヤーセルフとしての自覚があったと言えばあったわけですけど、最近との違いは、そのハイヤーセルフの意識が顕在意識として、思考する自らの意識として動き出したように思うのです。以前は、存在として強く胸の中に現れて愛あるいは創造・破壊・維持の意識として強く感じていたわけですけど、そのハイヤーセルフ自身が顕在意識として自ら明治的に意識して思考する存在ではありませんでした。その頃はもっと強い異次元の感覚と共にどこか奥の方から体に重なるようにしてアナハタを中心として「意図」として強制的に空間を引き摺り込むようにして現れて体現していた意識がハイヤーセルフと認識していたわけですけど、それはあくまでも感じるものとしての強烈な存在として現れていたのであり、それはしばらく変わらなかったわけですけど、今回は、そのハイヤーセルフ自身が少しずつ「起き始めた」感じがしていて、ハイヤーセルフ自身が考える存在として動き出したように思うのです。
そうなると共に、交代するかのように自我がハイヤーセルフに吸収され、今までは自我がかなり弱くなってきてはいたもののそれでも一応は自我(エゴ)が主でハイヤーセルフが従だったものが、今回、ハイヤーセルフが顕在意識の側に現れてきて、むしろエゴ(自我)の側が潜在意識の側に回り始めたことにより、主従関係が逆転したように思えるのです。
スピリチュアルではよく、「実際はハイヤーセルフが元から主で、自我は幻想であって従にすぎない」みたいなことがそこかしこで言われるのですけど、確かに理屈としてもそれはその通りではあるのですけど、実際、明示的に自覚として、本当の顕在意識として今回、入れ替わったように思います。
吸収されたからと言って自我(エゴ)はなくなったわけではなくて、ハイヤーセルフが顕在意識になったことで自我(エゴ)がそれに従うようになった、ということです。自我が潜在意識として存在してはいるものの、表に出ている意識が、まだ完全に目覚めたわけではない感じで、まだまどろみの中にいる感じではありますが、それでも、一応、ハイヤーセルフの意識の方が少しだけ主になったかな、というように思います。
ここに来て思うのが、単にハイヤーセルフの意識だけでは地上に影響を与えるのは難しい、ということ。また、自我(エゴ)だけでも同じく難しくて、肉体も含めて、キリスト教の言うように三位一体になることが必要なのかな、というようにも思います。
ハイヤーセルフの意識はまだ完全にこの世と繋がっていない感じではありますけど、少しずつ、子供の頃に周囲を観察するように、様子を見ているように思います。ハイヤーセルフの視点としては、まだ、そこまで目覚めきっていないように思います。