私の転生の理由の1つがスピリチュアルの階梯を確かめることでしたが、プルシャ(神霊)の流入により、一応の到達点に達したのかなと思っております。
一応はダルマ・メガ・サマーディに該当するのかなと思っておりまして、この先にはまだカイヴァリャ(独存の境地)を徹底させるという段階がありますけど、おそらくそれには時間がかかりますし、ここからの変化は小さいものと思われますので、記事にしてもその微妙な変化は伝わりにくいのかなと思います。
私の転生の目的に照らしますと、一旦自分自身をどん底に突き落としてからこの段階に戻ってくるまでの間をしっかりとスピリチュアルの階梯に対応付けて理解することがやりたかったことであって、その目的はこの時点で達成されたと思われます。
おそらくは、元々は私はこの現在のような状態に基本的には生きていたのですけど、周囲の、悩んでいる方のことがほとんど理解できずにスピリチュアルの指導やら悩み相談をしていたのですけど、そもそも悩むような状態にありませんでしたので、悩みをそもそも体験したことがなく、悩みを理解できませんでしたし、回答にしても、なかなか伝わらなかったのかなと思います。
そこで、その頃の自分のことを思い出すと、「どうして、この人たちはこれほど悩んでいるのだろう。悩みや苦しみ、はたまた、ひねくれている人たちや、キレる人たち、そのような人は、どうして、それほど混乱しているのだろう」という、「理解したい」という気持ち、それに、理解した上で「導いてあげたい」と言う気持ちがあって、今世において自分の環境をどん底に落として人々の苦しみを理解しようとしたわけでした。
それに、以前にも書いたかと思いますが、私、と言うよりも、私が属しているグループソウルの集団において、幾つもの使命を持って生まれた分霊があって、それらの分霊は使命が優先でしたので各種の葛藤を抱えたり周囲からの攻撃を受けたりしたわけですけれども、そのように使命を持った場合は葛藤の解消や他人からの恨みの念は割と放置したまま使命を優先させたわけです。そうすると、使命を持った分霊が人生を終えてグループソウルに戻ると、グループソウルの中に、そのような葛藤や(他人からの)恨みの念が少しずつ溜まっていってしまっていたわけです。
実のところ、ある程度そのような黒いオーラがグループソウルに溜まると、インドのプージャあるいは真言宗の護摩焚きのようなことをして黒いオーラを分離させて消滅、無に帰させる、と言うことをして浄化をするのが常だったわけですけど、ある時、いつものように儀式を始めて黒いオーラを消滅させようとした時、ふと、その黒いオーラの中に意識の目覚めを感じ取った、私の大元になるグループソウルがいたわけです。
■ 私に対するグループソウルの元々の期待
グループソウルというのは地上で生きている人間からするとグループソウルですけれども、高次元とも言えるその世界からするとグループソウル単体で一つの大きな強力な意志を持っていて、比喩的に言うならばグループソウルは天使とも言えるわけです(あくまでも比喩です)。そのグループソウルが自身の中に溜まってしまった黒いオーラを分離させ、火の儀式で消滅させようとしているときに、その黒いオーラに意志の目覚めを感じ、火の儀式を中断したわけです。
「待て。この黒いオーラに意識の目覚めが感じられる。この者に命を与えて転生させよう」
と言った時、その周囲にいた他のグループソウル(天使と言っても良い)は驚きました。そこで、私という小さな分霊の大元になっているグループソウルは更に説明をしたのです。
「良い機会だ。この黒いオーラに、一旦、どん底の地上の人生を経験してもらって、地上の者たちがどうしてそれほど苦しんでいるのか、体験してもらおう。
そして、そのどん底から、スピリチュアルの目覚めを段階的に体験することにより、階梯を確かめさせる。
そうすることで、我らも、地上の苦しみをよりよく理解できるようになる筈だ。
黒いオーラだけではこの目的を達成することはできない。少しの自分の(=グループソウルの)光のオーラを(分け与えて)混ぜることで導きとし、黒いオーラの部分を理解させよう。」
と説明したところ、そう言うことですか、と、一部のグループソウルは納得し、一部は訝しそうに理解に苦しむ感じでしたが特に異論はなく、納得したとあるグループソウルから「そう言うことでしたら、私のオーラも少し分け与えましょう」と、基本はとあるグループソウルから分け出た分霊なわけですけど、他のグループソウルからも少し助けを頂いております。それが私の大元になる魂あるいは分霊と言っても良い部分なわけです。
このことが本当だったのかどうかは確かめようがなく、単に、気のせい、と言う可能性もあります。実際の状況に対して少し自分が違って解釈している可能性もあります。このあたりは自分一人で確かめることが難しければ昔から「審神者」と言う方法で他者の検証が行われてきたわけですけれども、ここのスピリチュアルの階梯の段階に来るまでは半信半疑なところでしたが、このストーリーは、実際の状況とそれほど違ってはいないのでは、と思いつつあります。まぁ、私はこう言うことには疑い深いので、これすらも勘違い、気のせい、と言うこともあると思っておりますが、信じないまでも、今のところ、特に否定する理由もない、というくらいのニュートラルな気持ちでおります。
当初の目的は何であれ、ある程度のスピリチュアルの階梯は確かめることができたわけで、それはそれで十分な成果かなと思っております。