ハタ・ヨガ・プラディーピカとナーダ音

2018-10-28
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

■ハタ・ヨガ・プラディーピカ
このヨガの根本経典「ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika)」は古典に属するもので、文章自体はネットで公開されていますが、その解説がないと読解が困難な代物です。上記の「Meditation and Mantra」と同じ著者のSwami Vishnu-Devanandaが書いた解説書にはいくつかナーダ音について言及があります。 これは詳しく読まないと理解が困難なのですが、ナーダ音に関する箇所のみ訳しつつ抜粋します。

(1章57番) (特定の修行では) ナーダ(アナハタチャクラまたはソーラープレクサスから来るアナハタ音)に集中します。
(2章20番の解説) 何人かはナーダ(内面の音)を聞き、他の人は光を見る傾向があります。 〜(中略)〜 外的な経験は、人それぞれ違った形ではっきりと現れます。〜(中略)〜 経験は違っても、1つだけ共通な事があります。それは、心がとても落ち着いて平和であると言う点です。これは、ナディが浄化されたことを示す重要な中心的なポイントです。

この他にもハタヨガにおけるナーダ音の言及がいくつかあり、古典においても割と同様のことが言及されているようです。それと、ハタヨガの訓練において、各種の行法とナーダ音とは関係があることが言及されています。

(4章1番の解説) ナーダは音や波のエネルギーを意味します。 Binduは点を意味します:ここで点は中心または核です。 カーラとは超越的な波であることを意味し、時代を超越した状態、無空間状態、非二重の状態で終わります。 ナーダとビンドゥはシヴァとシャクティのようなものです。 ビンドゥは原子の中の核のようであり、ナーダは核の周りを旋回する電子であり、エネルギーはカーラです。 ナーダとビンドゥの波長が変わると、それはエネルギーになります:純粋な波です。 シヴァ主はすべてを凝縮しました。 ナーダ(音のエネルギー)、ビンドゥ(静的な力)、カーラ(超越的なエネルギー)。

おそらく、このあたりが最終的に理解されることなのでしょう。今はただの知識ですが。
ナーダの状態を更に超越するとカーラになる、と言うことでしょうか。

(4章29番) 感覚器官よりも心が優れている。 プラナは心の主です。 プラナのラヤ(Laya/吸収)が優れていて、ラヤはナーダ(内側の音)に依存しています。

これまた謎めいています。ラマナ・マハルシも以前に引用したようにラヤ(Laya/吸収)について言及しています。このあたりに更なる秘密がありそうです。

(4章31番)吸気と呼気の停止があると、感知の物体に向かう誘惑が破壊される。 心身の活動がないとき、ヨギは吸収(ラヤ/Laya)に成功します。
(4章32番)精神的活動と肉体的活動の両方が静まると、記述不可能な状態のラヤ(Laya/吸収)が起こります。これは直感的にしか実現できず、言葉では記述できません。
(4章34番)人々はラヤ、ラヤと繰り返し言い続けます。しかし、それはどのように定義されるのでしょう? ラヤはväsanas(性格に影響を与えるすべての意識下の力)が再燃しないこと、すなわち感覚における対象の再起が起こらないこと。

大胆に意訳すると、ラヤとはカルマの再燃が起こらないように起こる「吸収」の作用と言える。それはサマーディ状態のラヤと非サマーディ状態のラヤ(ブラフマンによるラヤ)がある、と言うことでしょうか。それは全体的な自己(Self)のラヤと、個人に基づくラヤの2種類だとも解釈できます。

一方、「ラヤ(吸収)はナーダ(内側の音)に依存している」と言うことは、ナーダ音が聞こえるようになると(個人に基づく)ラヤ(吸収)が発生し、浄化が進む、とも解釈できます。おそらくはブラフマンによるラヤは普通に存在しており、それはそれで少しづつ浄化されるが、多くの人の場合はそれでは十分ではなく、個人に基づくラヤが起こることで浄化が加速される、とも推測できます。あくまでも推測です。

ラマナ・マハルシの見解によると、ラヤ(吸収)に入らずに真我(コーザル体)に焦点を合わせるよう書いてあります。一方、このハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika)ではラヤ(吸収)を達成するようにかかれてあります。これはどういうことでしょうか。 解釈としては、ラヤ(吸収)は細身(メンタル質とアストラル質)のお話で、ラマナ・マハルシはもっと高い真我(コーザル体)に意識が合っているのだと思います。そうは言っても、まだ浄化が十分にされていない人はまずラヤ(吸収)で誘惑などを飲み込んでカルマの輪廻を止めるのが先なのかな、とも思います。ラヤ(吸収)である程度の浄化が達成されたらラマナ・マハルシの言うように真我(コーザル体)に焦点を合わせるのでしょう。

更に続きます。細かい行法は割愛して概要だけ引用します。

(4章66番)シヴァ神はラヤの達成のための方法を数多く与えた。
(4章67番)muktasanaに座ってsambhavi mudrãをし、その中の音に集中して耳を傾けるべきです。 これらは右の耳から聞こえます。
(4章68番)耳、鼻、口、目を閉じます。 すると、純化されつつあるスシュムナで明確な音がはっきりと聞こえます。

muktasanaはスカアーサナっぽい座禅の座り方で、sambhavi mudrãはナウムクヒ・ムドラに似た、顔を覆うムドラです。

(4章69番)すべてのヨガの実践には、アーランバ、ガタ、パリチャヤ、ニスパッティの4つのステージがあります。
(4章70番)アーランバワスター:(最初の段階で)、ブラフマ・グランティ(ムーラダーラ・チャクラにあるブラフマの結び目)の開幕があります。 それから、空白(Void)から生まれる至福があります。 それと同時に、(飾りのような)さまざまな甘い音や、(心の中のアーカーシャから生まれた)アナハタ・ドヴァーニ(Anähata Dhvani)のような乱れのない音が体の中で聞こえます。

グランティとは主要ナディであるスシュムナにあるとされている3つのブロックのことです。あまり意識していませんでしたが、いつの間にかムーラダーラ・チャクラのブラフマ・グランティが解放されていたのでしょうか? これは、気付く場合もあるし気付かない場合もあるようです。

確かに、半年以上前に会陰のムーラダーラ・チャクラからアジナ・チャクラまで軽い電気ショックが走ってアジナチャクラから軽い空気爆発しつつエネルギーが抜けたことがあったので、その時に何かあったのかもしれません。

空白(Void)から生まれる至福については、確かに、上で書いたように私がシャバアサナで感じた深い暗闇の静寂は空白(Void)とも言えるかもしれません。至福は昔より感じますけど、絶対的かと言うとそこまででもない気がします。

(4章71番)アーランバワスター段階では、ヨギは彼の心が(至福で)満ち溢れており、輝く身体を得ています。 彼は光り輝く甘い香りを放ち、すべての病気から解放されています。

私はこんなに体が丈夫ではないし風邪も引くので、自分がこうだとは到底言えないですね。私とはちょっと違う感じです。

(4章72番)ガタバワスター:第2段階では、プラナは(アパナ、ナーダ、ビンドゥ)と一体化し、中央(スシュムナ)に入る。 それから、ヨーギはアサナがしっかりとし、彼の知性はより鋭くなり、彼は神々と等しくなります。

私はこんな感じではないですね。まだまだのようですね。

(4章73番)最高の空虚(Void)にあるビシュヌ・グランティが貫かれたとき、それは素晴らしい幸福を示す。 それからケトルドラムのような轟音があります。

ビシュヌ・グランティはアナハタ・チャクラ(ハート・チャクラ)にあります。
これは私はまだのようですが、上記にあるケトルドラムの言及と被っているのが興味深いです。7段階の音で言うと「雷鳴」が似ているのかもしれません。
私の次の課題はビシュヌ・グランティかも。アナハタ・チャクラが抜けていない感じなのが課題です。

(4章74番)パリチャヤバワスター:第三段階では、マルダラ(インドの打楽器、小さなドラム)のような音が耳鳴りの中で聞こえます。
(4章76番)ニスパッティ-アバスター(第4の状態):プラナが(アジナ・チャクラにある)ルドラ・グランティを突き抜けると、それはイシュワラの座席に行きます。 その後、ヴィーナの共鳴を想像するかのようなリュートの音が聞こえます。

これらはまだまだのようです。でも、それぞれの段階ごとに音が割り振られているのが興味深いです。その音で進歩の段階を知ることができるわけですね。

(4章80番)私は、眉間の瞑想が、短時間でサマーディを達成するための最善の方法だと思う。 ナーダ(ヨガ)によってもたらされる吸収(ラヤ)は、ラージャヨガの状態を達成するための簡単な手段です。
(4章81番)ナーダの集中を通してサマディを練習する偉大なヨーギは、全ての表現を上回るほどの深い喜びがハートから溢れ出る経験をするでしょう。
(4章82番)彼の両手で耳を閉じて音を聞くムニ(ヨーギ)は、定常状態に達するまで心を固定しなければならない。
(4章83番)この(アナハタ)音を聞くと、次第にその音量が上がり、やがては外部の音を圧倒するでしょう。心の不安定さを克服したヨギは15日間で満足と幸せを得るでしょう。

この83番は納得できます。

(4章84番) 練習の初期段階では、様々な顕著な内面の音が聞こえます。 しかし進歩が起こると、それらはますます微妙になります。

この後、類似の、各種の音の例が続きます。

(4章89番)心がどんな内面的な音に最初に集中するとしても、それは安定状態に達して、最後にはそれと1つになります。
(4章92番)心がナーダの音に縛られ、その移り気をあきらめたとき、それは優れた安定性を達成します。

「Meditation and Mantra (Swami Vishnu-Devananda著)」にもナーダ音を使った瞑想方法が記載されてあったような気がしますが、そこでは「ナーダ音を使った瞑想方法もある」と言う程度の簡単な紹介でした。一方、この古典「ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika)」では、ナーダ音を使った瞑想をかなり推奨していますね。最後の方でこれほどまでにナーダ音のことを言及するとは思いませんでした。この後も、しばらくナーダに関する記述が続きます。

ナーダ音が特殊なものではなく、このような古典できちんと細かく語られていることに安心しました。