思考を止めただけではテクチュの境地にはならない

2020-01-17 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

おそらく、そういうことではないかと思います。ここ最近のお話でテクチュの境地とはおそらくスローモーションのヴィパッサナーでありサマーディでもあるという結論に至ったわけですが、テクチュの境地がそうであれば、単に思考を止めただけのお話ではないように思います。

ゾクチェンでは、以前引用しましたように3つの境地があり、思考を止める境地は「シネーの境地」であり、それはそれで心地の良い境地であると説きます。実際、私もヨガを始めてしばらく後、思考が落ち着いてきて「無」の境地とか瞑想中に集中する境地を味わったわけですが、それらがおそらくシネーの境地に相当しているのでしょう。

その後、私が体験したマニプラ優勢の状態とかアナハタ優勢の状態がゾクチェンでどれに相当するのかはわかりませんが、おそらくはシネーの境地とは瞑想で集中した状態のことを指すのだと思います。

そして、テクチュの境地がヴィパッサナーおよびサマーディであるわけですが、私の場合、順番としては以下の順番だったと思います。

1.ゾクチェンのシネーの境地 = 良く集中できている心地よい状態 = ヨーガ・スートラのヨーガの定義の最初にある「心の作用を止滅」の段階。止滅とはインドで「シャマタ」。
2.クンダリーニ活性化、マニプラ優勢の状態。生命力(パワー)の増加。
3.アナハタ優勢の状態。よりポジティブになる。
4.ゾクチェンのテクチュの境地 = スローモーションのヴィパッサナー(観察)瞑想状態 = サマーディ
5.オーラの意識的な活用 = サムヤマ (私はまだまだこれから)

もちろんこの前後や途中にも色々とありましたが、いくつかのポイントを列挙してみました。

それぞれの段階において、それぞれの程度において「悟り」と呼んでも良い意識をいくつか通過してきました。

シネーの境地では、さすがにこの段階では自分でも「悟り」とは思えない状況でしたが、それでもある程度の悟りの片鱗を垣間見た気がしたこともあります。その後、クンダリーニ活性化してマニプラ優勢になり、これが最終形態にしては何かが足りないという気がしてはいたもののある程度の悟りの片鱗を垣間見た感じがしておりました。次のアナハタ優勢になった時は更にポジティブになり、最終ではないことが今度も流石にわかりましたが、それでも一般的には悟りと言っても差し支えない状態になり、きっと一昔前であればアナハタ優勢でも悟りと言って良い状態だったのかと思います。今は人々の意識レベルが上がってきていますのでアナハタ優勢の人は数多くいらっしゃる気が致しますし、社会の中で活躍されている方にはこのアナハタ優勢のレベルを、本人はそれと気付かずに生活されている場合も多いような気が致します。

そして今回、ここ1ヶ月くらいでスローモーションのヴィパッサナー状態に突入したわけですが、ゾクチェンの段階を勉強するとそれがようやく2段階目だということが明らかで、私が今まで悟りの片鱗を垣間見たと思っていたのは、実はまだまだだったのだ、というのが良くわかります。

ですが、ゾクチェンの本を読みますとシネーの境地とテクチュの境地の間は溝が大きいとのことですが、テクチュの境地の後は一続きのようですので、一旦テクチュの境地のスローモーションのヴィパッサナー状態のコツが分かってしまえば、あとはその先に進むだけだと明確にわかりましたので迷わなくて良いです。

今までゾクチェンの本を何冊か読んできましたが謎な表現が多く、なかなか読み解くのが難しかったですが、最近になってわかりやすい本「ゾクチェン瞑想マニュアル(箱寺 孝彦 著)」が出てきて参考になりました。

本当はこういうのは師匠に見てもらうのが一番なんでしょうけど、師匠になり得るほどの人かどうか見極めるために質問を浴びせまくると逆にめんどくさがられることが多いので、今まで師匠と思えるような人に巡り合ったことはありません。べつに議論をしたいわけではなくて、師匠になってくれるほどの人であればそのくらいの質問に簡単に答えて欲しい、という気持ちの方が多いのですが、どうも、ピントがずれた回答ばかりだったりめんどくさがられたりして、師匠と思える人に巡り合ったことはないです。 私の場合、内なるガイドがいるので、それで十分と言えばそうなのですけど。