霊視はサードアイ等の能力。
エネルギー総量はクンダリーニの活性化などのお話。
それぞれ別です。
能力は周囲の霊的なものを感じ取る力。
エネルギーレベルはポジティブさに関連しています。
この両者はバランスよく育てる必要があります。
理想を言うのであればエネルギー総量を上げるのが先、能力は後がいいと思います。
能力だけ上げてしまうと、能力が上がったことによって感じやすくなったことで周囲のポジティブおよびネガティブの両方に感応しやすくなってしまい、エネルギーが足りないとネガティブの方に引き寄せられてしまいます。
パワーが上がればポジティブになって雑念が減ると言うのが基本です。
能力だけアップしてエネルギーが足りない場合は体調の不良に悩むことにもなります。
基本は自分で自分の能力を磨く、それは浄化ということですけど、浄化を進めることが1つ。
それと、エネルギー的に自分の体を活性化してクンダリーニを動かすことが重要です。
まあ、そうは言いましても人は色々で、このような地道な方法を選ばない人も多いのです。
例えば、自分のエネルギーを上げる代わりに妻などのパートナーあるいは会社の従業員からエネルギーを吸い取っている方も大勢いらっしゃいます。本人はそれと気付いていないことも多いですし、周囲から見るとポジティブに一見すると見えますけど、よく見れば本人のエネルギーが活性化していなくて他から奪っていたりするのがわかります。往々にしてそう言う人はうまく周囲からエネルギーを奪っていますので、あまり関わり合いにならないのが良いかと思います。
妻が年齢に対して衰弱しているのを見ると夫がよほどエネルギーを吸い取っているのだなあ、というのが一目瞭然なのですが、それは、妻を養う変わりにエネルギーをもらうという関係になっている場合もありまし、家庭のことには興味がなくて、ただ単にエネルギー的にそういう関係になっているという点が目につくだけのお話です。私なんかからすれば、よく妻が離れずついているなと思うわけですけど、その人の勝手ですから好きにすればいいと思います。
能力は自分が持つ必要がありますが、それすらも、他人から奪うことが一応はできます。古い神話を見ると「能力を奪う」お話がいくつも出てきていますけど、それは事実なわけです。とは言いましても最近の能力者は大したことないので能力を奪うとかそういうレベルではないですけど。
大抵の場合、能力があると言っても周囲の人の考えることがわかるだとか、オーラの感じがわかるとか、その程度であることがほとんどです。それは、本来は日本人であればほとんどの人に備わっていた能力で、特に特別でもなんでもない能力です。
今更、それをわざわざ修行とかして開発したとか言っている人がいますけど、日本人にしてみたら当たり前すぎて「あ、そのことをサードアイとか霊視とか言っているのですか? な〜んだ。拍子抜け・・・」っていうくらい平凡なことだと思います。
まあ、そういう能力的なところと、エネルギー的なところですね。そのバランスが取れていないとネガティブに悩みます。
それと、それなりに修行が進んだ後であれば、尊敬を集める、権力を握るなどの方法でエネルギーを集める方法があります。例えば戦国時代の天下人にでもなれば全国からの尊敬を集めたわけで、スピリチュアルなエネルギーも相当に集まるのです。
現代人の有名人も同様ですね。世界にあまり良い影響を与えないような存在であってもそれなりに有名になればエネルギーが集まって、その集まったエネルギーで更に活動することができてしまいます。ですから、有名でエネルギーに溢れているからと言って良い存在とは限らないわけですね。有名になりさえすればポジティブ・ネガティブの両方のエネルギーが集まりますから、それを扱うことができる器がなければ壊れてしまうわけです。ある程度の修行をしてクンダリーニが活性化し、自分のオーラがしっかりした状態でないと有名になるのは危険なようにも思います。
現代はスピリチュアルなことが軽視されすぎていますけどね。有名になっている人を見ると前世などでしっかり何某か修行してきた人も多いような気が致します。今生では割と普通の人生であったとしても、ある種の基礎ができているわけですね。そうでなければ若くして有名になるのはもちろん、歳を取ってからであっても何某かのスピリチュアルな基礎がなければ有名になった後すぐに倒れてしまうと思うわけです。