静寂の意識の中に生きる

2020-09-19 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

わたし、と体が一体化している時、その時は、静寂の意識の中に生きています。それらは表裏一体で、静寂の意識とは「わたし」と身体が一体化している状態なわけです。

瞑想を始めると、最初はちょっとモヤモヤとしています。

以前であれば段階的に静寂の意識が表れていましたが、今は、意識は割と静寂の意識のまま、雑念だけが雲が晴れるかのように本格的な静寂な意識に移行するようになりました。

以前は、雑念があってモヤモヤしていると意識も淀んでいました。
今は、雑念があっても割と意識が明確で雑念に気付いています。

以前は、雑念が晴れると同時に静寂の意識に移行していました。雑念の状態と意識の清浄な状態とが割とシンクロしていたわけですよね。
今は、雑念と意識の清浄な状態とが割と独立するようになってきました。

これは程度問題で、似たようなことは以前から起こってきました。

しかし、今まではそれほど明確にこの違いを意識することはありませんでしたが、ここにきて、意識が静寂で明らかなものになってきたことで違いが明確に認識できるようになった気が致します。

かなり昔は雑念に「襲われる」と言う感じで、私の周囲を雑念が完全に覆い隠すと言う感じでした。私の意識全てが雑念に囲まれて逃げられなくなり、攻撃されているかのようでした。実際、攻撃を受けていたのかもしれません。それも、ヨーガを始めてクンダリーニが動き出してからは段階的に、劇的に違う感じのものに変わってゆきました。

今は、雑念はラジオのようなものです。雑念が聞こえてきても、途中で不意に、ラジオのボリュームを誰かが小さくしてくれたかのようにどんどんと音が小さくなっていって消えてしまいます。一旦消えた雑念はもはや聞こえてきません。そして、雑念が何だったのかもすぐに忘れてしまいます。雑念が現れると同時に消えるシャルドルの状態なのかな、と思います。

これは五感がなくなってしまったわけではありません。むしろ逆に、目や皮膚の感覚が明確に心の奥底が直接的に感じられている状態です。今までは雑念があったことで五感の感覚が心の奥底に届くのを妨げられていて、今はより直接的に五感を感じられています。雑念が出てもすぐに水が太陽に照らされて蒸発するかのように消えてゆくので、雑念が消えたあとはまた五感の感覚が直接的に心の奥底に伝わるようになります。

思考というものも明示的に意思の力で働かせることができますので、意思がなくなったわけでもありません。ただ、自動的にやってくる雑念に惑わされにくくなったというだけのことです。

ただ、それでも溜まったカルマによるトラウマは時々出てきて、一瞬はそれに囚われて苦痛の表情や声に出そうになる時もあります。しかしながら、それも5秒や10秒もすれば蒸発するかのように消えてゆきます。これは今生の目的の1つがグループソウル全体のカルマの精算ですから、ある程度は仕方がないと思っています。私の個人でそれほど重荷に感じることはない、と言われています。今まではこれがかなり負担でしたが、シャルドルの状態になったら割とすぐに解消してくれるので大した負担ではなくなりました。

そして、また静寂の意識の中に戻ってゆくわけです。