意識が静まってきて静寂の意識に達したのち、雑念が出てきても1〜5文字くらいで消えてゆくようになります。その時、雑念が出てきたところにギュッと意識を近づけてみます。意識を近づければ近づけるほど雑念が素早く消えるようになるのですが、そのためには集中が必要です。
集中しなくても自然にいられるのですが、観察をして雑念の元を見るためには集中が必要のようです。
集中しなくても自動的思考を流すことはできて、以前は自動的思考と観察者としてのわたしが割と結びついていたのですが最近は更に分離されてきて、純粋観察者とまでは行かないかもしれませんが観察者として自動的思考を見守ることはできています。
その状態において雑念を観察しますと、雑念が出てくる元のところに時空の反転箇所があって、その反転箇所の向こう側はいわゆる「裏」の世界になっているようなのです。
裏の世界は漆黒の雲によってできており、その漆黒の雲から煙が上がるようにして雑念あるいは雑多な観念が生まれ、その雲から出た雑念が発散すると拡散して消えてゆくようなのです。近づけば近づくほど素早く消えてゆきます。
その状態を続けてゆくと、やがて、漆黒の雲自体が少しずつ「こちら側」の世界へと流れ込むようになりました。何でしょうこれ?
今までは、漆黒の雲が雑念として現れては消えるか(あるいは以前であればその雑念のループ)しておりましたが、ここにきて、漆黒の雲、それ自体がいわゆる「こちら側」の世界へと流れ込んできて、少しずつ「わたし」と融合しているようなのです。まだ濃度的には薄いのですが、私の体と重なっている部分のオーラに対して漆黒の雲が少しずつ流れ込んできているのがわかります。
以前は、単に、雑念が消えるだけでした。
この現在の状態がシャルドルかどうかは確実な確証はありませんが、以前とは違った感じを受けます。雑念として上がってきたものが消える有様に関しては以前とそう変わりません。以前は雑念にしても自動的な思考にしてもどちらも割と同じように扱っていましたが、最近は自動的な思考は残り、雑念の方だけ自動的に消えるようになったような気も致します。これは質の違いで区別ができるようになったということでしょうか。それともたまたまかもしれませんが。
更に、この状態では、雑念の奥底から漆黒の雲がこちらに流れ出てきているのを感じるのです。
漆黒の雲が平らに存在していて、それは地面というよりはガラス面のように横に存在していて、そのガラス面の向こう側は「裏側」で、そのガラス面のような漆黒の雲から竜巻あるいは煙の雲が上がるようにして漆黒の雲の一部が「こちら側」の世界、特に「わたし」の中に流れ込んできているのを感じます。
この「裏側」から雑念・観念が現れ、そしては消えてゆく。あるいは、その「裏側」それ自体がこの世界を構成している。この世界は「裏側」からちょっと漏れ出た部分に過ぎないのかもしれません。そして、その「裏側」に繋がることができて「本当のこの世界」を知ることができるのかもしれない? 今は、何となくそんな気がしています。
これは、魔術等で無理やり扉を開くとかいう種類のものではなく、平穏なる意識の中で現れるものです。神秘的に聞こえてしまうかもしれませんが、至って普通な、平凡な状態、しかしながらエネルギーに満ちた、静寂な意識の中で認識されている変化です。
これに至ったからと言ってどうこういうわけでもなく、ほとんどは、単に自分の記録としてメモをしているまでです。