世界宗教会議で「皆、違っているからこそ素晴らしい」と喝破したスワミがいた

2020-12-13 記
トピックスピリチュアル

どこで読んだお話か忘れてしまいましたけど、昔、たしか半世紀ほど前にインドからはるばるアメリカに渡って世界宗教会議に出席したスワミがいたそうです。

覚えている限りの話を書きますと、まずその世界宗教会議のテーマは普遍的な統一的な宗教、という感じで、今で言うところの「ワンネス」がテーマだったと思います。

各宗教の流派が統一的宗教のお話をして、拍手喝采、その会場では「ワンネス」が叫ばれ、各派の宗教者がダンスを踊りながら「みんな一緒、ワンネス素晴らしい」と楽しげにしていたそうです。

それに違和感を感じたスワミは、次のようなことを言いました。

「ワンネスとは、皆が同じようになることではない。皆が違っていて、それでもそのまま素晴らしいのだ。違っているからこそ世界は美しいのだ。そのように宗教が1つになって統合される必要は全くない」

・・・その発言に、会場は固まったそうです。

これは、ヴェーダの教えでもあると私は理解しています。

ヴェーダでは人間の本質はアートマンで、いわゆる魂のようなものですけど、そのアートマンの本質は実はブラフマンで、ブラフマンとはこの世に偏在していて、ブラフマンこそがワンネスの本質なわけです。

ですから、人間は個としてのアートマンだと思っているけれども実はブラフマンだ、というのがヴェーダの教えで、その意味するところは、何もしなくても最初からブラフマンであって、アートマンとしての個はそのまま残るわけですよね。アートマンはそれぞれ違っていてそれでよくて、それでもブラフマンとして同一なわけです。ですからヴェーダでは個人を均一化するようなことをしなくて、それ故に、宗教を統一するなんてことはしないのです。そんなことをしなくても最初から全ての人間、人間だけでなくこの世の全てがブラフマンなのですから、最初からワンネスなのです。

結局、その宗教会議の本当の目的はワンネスといいつつ実は特定の宗派の拡大を狙っていたのかな・・・ とも勘ぐってしまいます。

それはさておき、そもそもヴェーダでは個人の均一化を説いていなくて、人は違っていてそれで良い、という考えが基本にあるわけです。

ですから、ヴェーダは最近における誤解されたワンネスとは相反しており、ヴェーダ的な本質のワンネスがあるわけです。