自分の姿が周囲に見える瞑想

2020-12-19 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ここ最近、瞑想中に自分の姿を外から見たような映像が瞑想中に見えます。

以前から時々は見えていたように思いますが、最近は割と頻繁に見えている気が致します。

それは鏡が空中に浮いていてその面に自分が映っていたり、あるいは、複数のクリスタルが周囲にあってそれらの複数のクリスタルのそれぞれに自分の姿が映っていたりします。1つだけ見えることもあれば複数同時に見えることもあります。

自分の周囲が沢山のクリスタルあるいは沢山の鏡に覆われていて、時にその1つから見えたり、複数から見えたりしています。

これは2つの可能性があります。

・想像で自分をイメージしている場合。これは本尊やオーム文字を観想するようなものですね。
・自分の心が平穏になり、心が対象を映し出すことがなくなったが故に心が活動を停止して心が水面のように穏やかになったが故に心に自分の姿が反射して見えている。

これらは似ているように見えてもかなり別物です。

私の解釈としては今の状態は後者で、心の動きが止まってきたので写すべきものがなくなってきて自分の姿が見えているのかな、と思っております。

考え事や雑念、あるいは思考がある時は心はその対象と一体化した形を取っています。特に雑念もなく瞑想している状態では心はその形をとるべき対象がなく、近くにある私の姿がそのまま映し出されるのかな、と思っております。そのように鳴るためにはある程度の心の浄化が必要です。

これはヨーガの聖典あるいは神道の鏡でも動揺の意味合いが言われていたような気が致します。そのうち該当する記述を見つけたら引用したいと思いますが、そんな記述は色々と読んだ気が致します。

これは、幽体離脱で見ている感じとは全然違いますね。幽体離脱の時はしっかりと眼が働いていてその眼から直接見えますけど、今回の場合は、自分の瞑想中の見る目(いわゆるプルシャ)は自分が座っているところに留まったままで、その周囲の心の姿に映し出された自分自身を見ている感じでした。

まあ、それは大して意味がないと思いますし、基本的には無視していいものだと思いますから無視していたら割とすぐに力を失って消えてゆきました。そんなものだと思います。

これ、もっと明示的に意図を持って「壊す」ようにした方がいいのかもしれませんけど、ひとまず今は単に無視して消えるのを待っているだけです。