自らが光であると自覚する

2021-08-06 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

スピリチュアル等では自分が光だというのはよく言われていて神々しいオーラとか後光がするとかそういう比喩があったりしますけど、そういう他人に対する表現ではなくて、瞑想中に自分の感覚として自らが光であると自覚し始めました。

この時に他人から見たらどう写るのかは分かりませんけど、少なくとも、瞑想中に自らの中心が光を放っていることを自覚しています。

その光は2種類あって、アートマンとしての意識の基礎の光がまずあって、この光はそこまで激しくはないのですが自らを中心として薄く周囲にまで広がっています。

それに加えて、意思としての思考するマインドの光もまた自らを中心として存在しています。

アートマンの意識の光はそれほど変わることがなくて光り輝き続けています。

一方、思考する意思としてのマインドの光は、思考を意図する度に激しく揺れ動いて思考に合わせて輝いて瞬きます。

アートマンの意識の光が思考するマインドに働きかけ、それに応じるようにマインドが動き、それと同時に光が激しく瞬くのです。

どちらも光ではあるのですが階層が違うようで、アートマンの方は意思の光で、マインドの方は具体的な論理あるいは具体的な対象を持った思考の光です。

ここで肉体としての体とマインド(心としての体)、及びアートマンとしての意思、という3階層に分けてみますと、それぞれ、微細な方から粗雑な方へと意図する(命令する)ということを行なって粗雑な体を動かすわけです。

マインドが思考して体を動かします。
そして、マインドそのものは、アートマンの意識・意思が動くことでマインドが動き、思考します。

ですから、最初のスタート地点はアートマンの意識が働き、次にマインドの思考が働き、そして必要に応じて肉体の体が動きます。

自律神経などは自動的だったりしますけど、ここで言っているのは口とか諸々の意図的に動かす部分のお話で、マインドの思考が意図しなければ肉体の体が動かない、ということになります。

ですから、静かに黙って座る場合はマインドがそれなりに静かになってマインドが口で話すことを意図しない状態なわけです。更に進むと、マインドの奥にあるアートマンの意識が静かになってマインドを黙って静かにさせることができるわけです。

これは割と階層的に進むことです。最初は喋らずに静かに座っていてもマインドが激しく動いたりしますが、やがて、マインドそれ自体の動きも静かになってゆきます。

ヴェーダンタ的に言えばアートマンの意識は無限でそれ自体は穢れがないのですけど、実際はアートマンそれ単体で存在しているということはなくてこの世においてはヨーガで言うところの3つのグナと常に結びついていますから、比喩的にアートマンと言っているのは実際にはグナと結びついたイーシュワラなのですよね。こうなるとこの世との関連性が存在して、意識としてマインドに働きかけますけど、それと同時に、マインドからの入力をグナとして蓄積してサムスカーラという微細な感覚に溜め込んでしまったりするわけです。サムスカーラはアートマンの意識よりももっと粗雑なものなのですけど、そのサムスカーラがアートマンの意識を覆い隠すと意識が輝けなくなってしまうわけです。

グナがないとアートマンの意思はマインドに働きかけることができないのですが、グナが沢山あればそれだけでいいというわけでもなくて、グナがそれなりに純粋でないとアートマンの意識とマインドの意識が分断してしまったりするわけです。

グナは3グナと言われていますように純粋なサットヴァと活動的なラジャス、そして重いタマスとがありますけど、タマス優勢の場合はアートマンの意識がマインドになかなか届かなくてマインドの思考だけで生きてしまうわけです。サットヴァの意識は輝いていますけどそれはアートマンそのものではなくて、ですけどグナは多少は必要ですのでサットヴァの純粋な意識を通してアートマンはこの世の現実を知るわけです。

アートマンから見ると全て光なわけですけど、そうは言っても光を遮るものもあって、サットヴァは輝いていますけどタマスは黒くて光を遮るわけです。

アートマンの純粋な光がサットヴァの光と結びつき、タマスとラジャスを照らしている、とも言えますけど、本来は自ら光り輝くものはアートマンだけですので、サットヴァの光ですらもアートマンの光を映し出して光っているので、太陽に比喩されるアートマンに対してその他は夜に輝く月のようなものなわけです。

瞑想をしていると、アートマンの光が基礎として輝いていることがわかって、アートマンの意思が満遍なく満ちているところと重なるようにしてマインドの意識・意思が自らのハートに光って存在していて、どちらも光ではありますし、実際のところ激しく一時的に輝くのはアートマンの方というよりはマインドの光の方が激しく輝くように見えますけど、実際のところ、基礎として本来的に自ら輝いているのはアートマンの方なわけです。



肉体の体も光である(次の記事)