瞑想をしてサハスララにオーラが満ちると、頭頂が妖怪アンテナのようにちょっとピンと立ったような感覚になって、その状態では雑念が入ってこなくなり、明示的な思考(ブッディ)のみが働くようです。
瞑想をしてしばらく観察していましたが、特に明示的な思考をしなければ単に呼吸や周囲のセミの音をただ聞いているだけの状態になり、目を開けて座っていると目の前の風景がそのまま飛び込んでくる状態です。
以前の、視界がスローモーションで認識されるヴィパッサナー状態とは違って特にスローモーションという感じはなく、ただありのままに見ている状態です。おそらくは以前は五感のうち視覚にだけ極度に集中することで視覚がスローモーションかのごとく感じられましたけど、今は特に明示的に視覚に集中することもなく、ただ見ているだけの状態です。意図的に視覚に意識を当てると今も視覚がスローモーション、と言いますか、語弊がありますけど、時間軸としては変わっていなくて普通のスピードなのですけど細かく動きが感じられる、という状態になります。ですので、意識的に視覚を働かせることでスローモーションのように見ることは今もできますけど、特に意識せずに普通に見ている時は、ただ、目の前のありのままを見ているだけの状態になります。
それは寂静の世界とも言えますけど、禅寺の日本庭園、あるいは短歌などの世界であるとも言えるかもしれません。私は歌は読みませんけど、ありのままを見る禅の世界に通じるものを感じます。
寂静の世界と言っても全ての感覚及び音などが止まってしまったわけではなく、セミの音などは変わらず聞こえてきますし、目に入ってくる景色は存在し続けます。
違いはといえば、心の中の雑念がなくなり、文字通りなくなって、明示的な思考(ヨーガでいうブッディ)のみが働く状態になります。
それが、サハスララにオーラを充満させた状態で起こります。
この状態ですと目を瞑った瞑想と目を開けた瞑想とでさほど違いはなくなって、目を瞑るとやりやすいだとか、目を開けた方がやりやすいだとか、そのような区別は特にないようです。若干、目を瞑った方が不安定になりやすい気も致しますので目を開けていた方がいいかな、という気も致します。
この、目を瞑った方がいいのか開けた方がいいのかは段階によって向き不向きがあって、瞑想を始めたら基本は目を瞑るのがいいとは思うのですけど、最近は割と目を開けていた方が調子がいいかな、というのが実感です。