サマーディに居続けるテクチューとランドル

2021-08-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

詳しい内容は分かりませんけど、チベット仏教、特にゾクチェンに属する教えの中にテクチューという修行方法があるようです。

それは2つの修行段階のうちの1つであり、1つ目としてテクチュー、2つ目にはトゥゲルがあり、テクチューの場合は初段階ということでサマーディ(三昧)に居続ける修行、とのことです。

一方、同じくゾクチェンの見解においてサマーディの深化の3つの段階がありますけど、どうやら私はランドルの段階にいるように思います。

ですから、私のいる段階の組み合わせとしてはテクチューとランドル、ということになると思います。

■修行方法
テクチュー(サマーディに居続ける)
トゥゲル(内容不明)

■サマーディの深化
チェルドル 最初の能力。「観察すると、それはみずからを解放する」
シャルドル 中間的な能力。「生じると同時に解放する」
ランドル 究極的な能力。「自然にみずからを解放する」
「虹と水晶(ナムカイ ノルブ 著)」より

私は今までもサマーディの状態を瞑想及びその後でしばらく継続できていたかと思いますけどその状態には段階があって、最初は時間をかけた瞑想でサマーディに至っていたものが、そのうちそれほど時間をかけなくてもサマーディ状態になり、そしてごく最近、サハスララにオーラが満ちた状態ではようやくランドルと言うのに相応しい状態になったのかな、と自分では思います。

そして、これらチェルドル・シャルドル・ランドルは全て修行でいうとおそらくテクチューに相当して、テクチュー+チェルドル、テクチュー+シャルドル、テクチュー+ランドル、という組み合わせになるのかな、とも思います。チベットのラマに聞いたわけではありませんけど、そのように考えるのが理に叶っているように思います。

ランドルがそのまま悟りではなくて、この先にトェデルと言う状態があって、それが悟りだとのことです。

トェデルは「概念の彼岸」ないし「空のような」という意味だ。トェデルとは主体と対象の完全な再統合である。だがそれだけではない。みずからのエネルギーとそのあらわれ方を支配することによって、もはや転生を必要とせず、今生において究極な悟りを成就する。「虹と水晶(ナムカイ ノルブ 著)」

今まで、このあたりがピンと来なかったのですけど、サハスララにオーラが満ちた状態で想念のエネルギーと周囲のエネルギーを観察できるようになると、確かにこの方向性で行けばこのようなことも可能なのでは、という確信のようなものが生まれてきます。