本山博先生の記述を元に私の今の状態がカラーナ次元なのかどうか確かめてみました。
プラーナが、カラーナの身体の中ではバランスが取れた状態になる。(中略)ところが、アストラルの次元や物理的な次元の身体の状態になると(中略)バランスが崩れやすい。(中略)五つのプラーナや七つのチャクラがバランスの取れた状態にあって病気がないというのがカラーナの状態ですが、物理的な次元やアストラルの次元ではなかなかそういうふうにはいかない。 「本山博著作集8」
これは一つの状態で、サハスララにオーラが満ちる状態がカラーナと解釈しています。
カラーナ次元の存在との宗教体験としては、まず、「透明に近い、或いは白色の光や存在を感得する」ということが挙げられます。アストラルの次元では、生々しい色とか形、触覚、匂い等があります。(中略)ですから、色がついた何かが見えたとしたら、それはアストラルの次元の何かとつながりがついているということなのです。(中略)「形が強い力を持つ」(中略)「感情的なたかぶりがなく、平安である」(中略)「知的な内容の掲示が多い」(中略)「心が物理的次元の肉体や、アストラル次元の感情、想像の束縛を離れて自由となり、事象をそのままにみられるようになる」(中略)「自己に基づく愛、愛情ではなく、利他的な隣人愛が目覚めてくる」 「本山博著作集8」
白い光というのは割としょっちゅう見ておりますが、そういえば創造・破壊・維持のアナハタの光を見た時は特に透明と言いますか白に近い光だったように思います。
匂いとかがあるのは割と変な霊が来ている時が多くて、例えば変な霊が部屋に迷い込んできたり、よそで拾ってしまったりした時は変な感情や匂いもの時々しましたね。ですけど、最近はほとんどないです。
形が強い力を持つ、というのはまだよく分かりません。
感情なたかぶりがなく平音、というのは割とここずっとそうですけど、特に創造・破壊・維持の意識が出てきて以降は特にそれが深まった感じですね。
知的な内容の掲示が多い、というのは昔からですので、最近の違いはよくわかりません。
物事をありのままに見られるようになる、というのは、創造・破壊・維持の意識が出てから少し後に身体をダイレクトに動かしつつも直接的に観察している感覚が出てきましたので、それに該当する気がいたします。
この創造・破壊・維持の意識が出てきて以降は特に隣人愛が強くなった気がいたします。かと言って何かをしているというわけでもないのですけど、気持ちとして変わりました。
ここまで見ると、どうやら私はカラーナの次元のサマーディ(三昧)にいる、と考えるのが良さそうです。
一方、このカラーナは終わりではなく、この後に神霊そのものとも言える「プルシャの次元」およびその次には「宇宙霊あるいは絶対者」という段階があって、宇宙霊(絶対者)との一体化は完全には無理で一部の融合に留まるので、一応の到達点としては「プルシャの次元」ということになるようです。
ただ、本山博先生の著作によればカラーナのサマーディでは色々な能力が出てくると言いますが私は特にそのような心当たりはありませんね。直感と言いますか啓示は受けやすくなった感じではありますが、そのくらいです。