ナーダ音というベッドの上に横たわって寛ぐ

2020-07-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

意識が凪の状態になるのは意識の個別の領域ごとに起こっていました。例えば眉間であればそこを中心として頭や肩などの力が抜けて寛ぐ感じです。

それはそれで有益で瞑想の基本ではありますけど、その凪の状態の先に更なる状態がありました。広範囲の力が抜けた、深いところまで届く意識のリラックスです。

その状態に入るにはいくつか方法があって、最初は凪の状態まで瞑想を続けて、その先で深い意識のリラックス状態に入っていました。

しかし、瞑想を続けるうちにその状態が徐々に解除され、また5分くらい経つと凪の状態になるという段階的な変化が起こっていました。

これ、最初のうちは階段上の変化ではあるのですが、続けていくうちにその変化分が小さくなっていって、一定以上は意識の平穏が進まない臨界点に達するのです。

変化が少ない場合は割と平準なところを行ったり来たりするところまで瞑想が達します。

その行ったり来たりの状態が意識の落ち着いた状態で、それはそれで重要なのかなと思います。

意識が平穏で、行ったり来たりの幅が狭くなった状態で更に瞑想を続けてゆくと、「あれっ。これ、全身の力を抜いても平気なのでは?」という突然の理解に達します。

今までナーダ音によって強制的に意識が働く状態になっていて、それは基本として働き続けていました。ナーダ音によって眠りを許さないが故に意識が活性化され、瞑想が進んだのです。

しかし、ここに来て、その「ナーダ音に引っ張られる意識」それ自体をリラックスさせることができるのでは、と、ふと突然に気がついたのです。

早速やってみると、それはまるで、ナーダ音というベッドの上に横たわる意識、という感じでした。

ナーダ音が聞こえ続けていて、しかしながらナーダ音に意識が引っ張られずにリラックスするのです。

今までは、ナーダ音というベッドに横たわってしまうことを、どこか意識が拒否していました。この拒否する意識は、ナーダ音に引っ張られる意識と同類のものです。おそらくは心(チッタ)は何かにすぐに引き付けられる性質を持っており、それがナーダ音に引き付けられて雑念から引き離されるという効果はあるものの、ここに来て、雑念が減ってきたが故にその役割を一旦は停止してナーダ音にすら引っ張られない状態に意識を持っていけるようになったのではないかなと思います。

ナーダ音というものに引っ張られていた心を、俗にいう「中心」に戻してあげることでリラックス状態になります。

それを比喩的に表現すると、ナーダ音というベッドの上に意識が横たわる、とでも言える状態です。

こうなると肩の力だけでなく全身の力が抜け、更に意識が深くなってゆく気が致します。

ナーダ音は悪者ではありません。それは浄化の印です。しかし、それは補助輪のようなもので、ある程度までは役に立ちますが、ここから先はその補助輪なしで行く領域な気が致します。



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