私への恨みは全てそのままお返しします


瞑想中、かつて私を恨んだであろう人の姿がイメージに出てきました。

今までは、基本的に恨まれても放っておきました。何故かそうするのが良いと思っていたからですが、今から思えば、私の今生の目的はカルマの解消と覚醒への階梯を確かめることの2つでしたからこそ、どん底に突き落としたり、あるいは、恨まれた時の状態を理解して学ぶために恨まれても放っておくべきと判断していたように思います。

顕在意識では恨まれたくないですし恨まれたらその分、跳ね返して返すべきと思っておりましたが、潜在意識において恨まれることは必要な学びだから跳ね返さずに恨まれたことでどのように自分が変化するのか学ぶと良い、と判断していたように思います。顕在意識より潜在意識が勝ちますから、今までは、恨みに対してなされるがままでした。

ですから、相手からしたら簡単な相手だと思われていたことでしょう。相手からすればうまく恨んで私をどん底に落としたつもりになっていい気になっていたでしょうが、ことあるごとに、誰かから私が恨まれる度に、私が必要な学びの環境へと誰かが私を突き落としてくれていたわけですから、実際のところ、私の思い通りに相手が動いて私を恨んでくれたのだと言うこともできます。全ては私の掌の中で動いていたわけですね。

そうは言いましても、最近はその必要もほとんどなくなっており、そろそろ、清算して自分をガードすべきではないかと思いました。

瞑想中に自分の中を探ってみるとのようなものが見つかることがあるのですが、大きなものはほとんど取り除いたと思うのですが、まだ細かなものが残っているのです。

今回、試しに「私への恨みは全てそのままお返しします」と宣言したところ、残っている細かな針が少しずつ消えてゆくではありませんか。どうやら、私のオーラの中に根深く残っていたようですね。

宣言は更に続き、「私への恨みは、相手ごとに、現在あるいは過去のとある1点にまとめてお返しします」と宣言しました。

これはどう言うことかと言いますと、相手は私を何日、何週間、何ヶ月に渡ってしつこく恨んだりするわけですが、それを都度返すのではなく、時空を超えて全てひとまとめにして、これまた時空を超えた1点にまとめてお返しします、と宣言したのです。

こうすることで、個別であれば跳ね返されてしまって再度私に戻ってきてしまうかもしれない恨みが、強力な自分自身の刃となって帰って行くように意図したのです。

その結果、相手がどうなるのかはよくわかりません。交通事故かもしれませんし単なるトラウマあるいは鬱になるのかもしれません。

もはや私は特に相手を恨んではおりませんので、更にこのように宣言しました。「何も付け加えません。しかし、何も引きません。相手が私を恨んだ分、100%そのまま相手にお返し致します。」

こうすることで、私の方にカルマが残らないようにします。

私の体に刺さっている針は針と見ることもできますが、それは恨みの塊ですから、よく見ると気持ち悪くて、まるで毛穴に黒い垢が詰まったかのようなおぞましい様相をしています。それが、このように宣言するごとに少しずつ消えてゆき、おそらくは恨みを発した人にそのまま帰って行っているような気が致します。

今までは私に必要だったからこそ相手の恨みを利用したとはいえ、そうは言いましたも恨みは恨みでありますから、相手にはその恨みは返してしまうのが一番だと思います。そこらに捨ててしまうと、このような恨みの想念はぷかぷかとそこらを雲が流れるように漂って行って無害な人の体にくっついてしまうことがありますからね。世間で不意にネガティブになったりする人の原因はこのような単なる事故の時もありますから、そこらに放ってしまうよりは、本人に引き取ってもらうのが一番なのです。

このような「呪い返し」をするときに重要なのは、相手の方がエネルギーが高いと呪いが逆に返される場合があると言うことです。

呪い返し成功パターン:呪ってきた人 →(呪い)→ 私 →(呪い返しで跳ね返す)→呪ってきた人が私よりエネルギーが低い場合は呪い返し成功。呪いは全て呪った人自身に戻る。
呪い返し失敗パターン:私より呪った人の方がエネルギーが高い場合は呪い返し失敗する。

ですから、おそらくは私の若い頃に、わざわざ自分をどん底に落としてエネルギーを枯渇させて覚醒への階梯を確かめるなんてやっていた頃に呪い返ししようとしても相手の方がエネルギーが高くて呪い返しなんて成功しなかったと思うのです。おそらくは同様の意図を何度もしていたのですが、失敗していたと思います。その失敗すらも過去生ではほとんど失敗していなかったと思いますので、エネルギーが低いと呪い返しに失敗すると言うことも含めて学びの一環だったわけですが。過去生では大体の場合に覚醒しておりましたので呪い返しが失敗するなんてほとんどなかったように思います。エネルギーが低いとこんなにも呪いへの対処に失敗するのか、と言うのは必要な学びでした。

しかしながら、今はクンダリーニが覚醒して、オーラのエネルギーがアジナ優勢に変化して、エネルギー的に不足はありません。

そこで、そろそろもういいかな、と言うことで上記の宣言をしたところ、どうやらうまく行ったようなのです。

恨みだけでなく、他にも色々返すことにしました。

・私を馬鹿にした人に、その思いをそのままお返し致します。
・私を蔑んだ人に、その思いをそのままお返し致します。

等、恨みに類した事項もこの宣言に加えました。

どうやら、このように言葉にすることで精妙な世界ではそれがルールとして働くようですね。
そして、一旦ルールとして潜在意識に書き込まれたら特別な指示をしなくてもそのルールは働くようです。

過去だけでなく、基本的には未来も同様のルールで恨みや蔑みはそのままお返しします、と言う宣言もしました。

この種の宣言は、おそらくは宇宙とほんの少し繋がったことで宣言が有効になる気が致します。おそらくはそれ以前ですと宣言しても宇宙に届いていなかったように思います。以前とは異なり、全てではないですが自分の発する宣言が有効になってきたように思います。

■私を貶めようとした人にお返しをする

一旦は瞑想でお返しして、その後、数時間経ったらフィードバックがありました。

特に頭の右上方に圧迫感があって、誰かが押し返そうとしているようです。

誰だろう・・・ と思って探ってみると、どうやら、小学生の頃に私を貶めようとしていた人のようです。時空を超えてこんなところまで私を恨みますか。仕方がないので眉間に力を入れてその念を押し返します。すると、眉間あるいはもう少し右上のところで「ピキピキ」という音がしました。圧力がかかっているようです。

その人はどんな人だったかと言いますと、次のようなことがありました。

ある時、学校の先生が道徳の授業で、匿名で教室の他の誰かに原稿用紙1枚程度で「良いところ、悪いところ」を書いて送ろう、というお話があったのです。くじ引きで相手を決め、原稿用紙の「右上に自分の名前、左上に相手の名前」を書いて、右上のところは先生がハサミで切り取ってから相手に読ませます、というルールでした。今から思えば、匿名ならそもそも自分の名前を書かなくてもいいのではないかと思うのですが、とにかく、その時はそのようなルールでした。私はその時、たしかあまり興味のない女の子のことを書いたと思います。そして、私には「ちほ」ちゃんという人から届きました。

その授業の時、教室の誰かが私を貶めようと、私の名前をわざと違う場所に書いて、とてつもなく嫌なことを書いて女の子に送ったのです。名前の場所は指定されていましたし、そもそも私はそんな子のことは書いていませんし。誰かが私のことを貶めようとしていたわけです。

そして、今回、もはや名前は覚えてはいないですけどその時に同級生だった人の顔が今見えてきましたので、「ああ、やっぱりあの人だったのか」とわかったわけです。

その人は、落ち込んでいるその女の子のところに言って大きな声で嬉しそうに「なんて酷いことを言う人なんだ!!!」と、言葉とは裏腹に、とても嬉しそうに言っていました。

ちょっと人生経験のある人であればこのようなことを言う人こそが犯人だなんてすぐわかるわけですけど、流石に小学生ですから、その女の子を中心にして私を睨む人、それと、一体誰が本当はそれを書いたのか疑問に思う人とに分かれました。まあ、女の子は勘が鋭いですから誰かが私を貶めようとしたのはすぐにわかりましたけど、それでも、多少の不和は残ったような気が致します。

それは、このような構図でした。

・私 → 名前すら忘れた女の子のことを書いて提出
・ちほ、ちゃん → 私に提出。内容は私のことと言うより、自分(ちほ)のことをみんな変に思わないでほしい、と言う内容。
・Aちゃん → 私のことを、好きと言うほどではないがちょっと気になっている。
・Bくん → おそらくAちゃんが好き。Aちゃんの私に対する思いを壊したい。
・私 → Aちゃんのことは何とも思っていない。(ごめんなさい)

ですから、私を貶めることとAちゃんの気持ちを私から離れさせることができる一石二鳥の策だったわけです。

よくもまあ、小学生でこんな悪巧みが出来ますよね。

どうやら私に圧迫感を送っているのは過去のその人だと言うことがわかりましたので、念で押し返したら意外にあっさりと戻っていきました。

昔でしたらエネルギーが足りなくて九字切りでもしなくては防げなかったように思いますが、今はクンダリーニも動いていてエネルギーに不足はなく、防御および跳ね返しているような感じです。しかしながらなかなかこの人はしつこい性格のようで念が途切れませんので、霊剣で何回か切ってあげようと思います。オーラに切れ目ができればそこから不浄化の霊が入り込んで勝手に自滅しますからね。こう言う人には直接手を下す必要はなくて自分の念で落とすのが一番です。

それと、こう言う時は、守護霊にお願いするのも手です。

私を恨んでいる相手をどうにかしてください、とお願いすれば守護霊がどうにかしてくれます。

主に男の方のチベットの修行僧がこう言うことを対処してくれることが多いですけど、幽界に漂っている、私に縁のある友人知人および親類たちの霊であっても対処してくれたりします。例えば、私の過去生の妻や仲の良かった元気な女の人が「けしからん!」と言って相手の守護霊に直談判に行ってくれたりします。

まあ、そのあたり、近所のお節介な仲の良いおばちゃんとそう変わらなかったりします。その人なりの対処方法があって、元気のいい女の人が私の知り合いに大勢いますから、相手の霊の守護霊のところに言って文句を言えば相手は引き下がったりしますし、あるいは、どうしようもない相手であれば忖度してくれて私の代わりに相手をそれどころではないくらいに徹底的に酷い状況に落としてくれたりします。

守護霊の2人は守護霊としてのやり方で対処してくれますけど、知り合いや家族の霊が対処する場合は近所のおばちゃん風の怒鳴り込み、みたいなことも多いですね。

意外に、人間界での対処とあの世での対処は似ているところがあります。

他人を貶めることは、やっている方は現世利益でやっているのでしょうけど、そんな他人を恨んでいたりすると自分のオーラが汚れますし、そのような汚れたオーラを助けてくれる友人知人の霊あるいは家族の霊は少なくなってゆくでしょう。その辺りも人間界と意外と変わりがないですね。守護霊にしても、そのように現世利益で生活する人に高級な霊はつかないです。

まずは人間界をしっかり生きて、会う人を大切にして、家族を大切にして、それで、家族があの世でも助けてくれるようになるのが基本です。ですから、基本は人間界での生き方がありますので、他人を貶めてそれで女を手に入れたとしても、それで作り上げた夫婦というのは所詮はそのようなものであり、あの世でも、来世でも、何度となくトラブルを引き起こすことでしょう。恨んだり恨まれたりと言う人生には関わり合いを持たないのが一番だと思います。あの世に行ってしまえば結婚に縛られる必要はないですが、来世も一緒に暮らしたいと思う人や仲の良かった人は同じところに集って人生を助けてくれます。

助けてくれるだけでなく、例えば、誰かを貶めようとしているのであれば、それは霊界からみたらその意図は明らかですので、霊界で見守っている多くの友人知人の霊および元家族の霊たちを心底落胆させることだってあるのです。そうすることで友人であることをやめ、見守ることをやめ、元家族からも見放されて孤立して人間界で生きている方もいらっしゃるようです。

守護霊が必ずいるわけでもなく、そのように見放されてしまった人は運にも巡り合わず、死後に導いてくれる友人知人の霊もおらず、死んだことにも気付かず地上を浮遊霊として彷徨うことにもなります。ここまで落ちるのは相当でしょうけど、その中間などは山ほどあるわけです。

ですから、他人を貶めようとしたり他人を恨んだとしたら、まず、過去生からの繋がりのある友人知人の霊および元家族の霊から軽蔑されると思った方がいいです。軽蔑されなくて同類が集まっている場合もありますから、それはそれで落ちるところまで落ちたと言うことでもありますけど。

どちらにせよ他人を貶めようとする人とは関わりあうべきではありませんし、恨み返すべきでもありません。

しかしながら、恨みを跳ね返すことはしていいわけです。