私は色々な流派の見解を引用していますけど、これは流派を混ぜているとかそういうことではなく、自分の状態を一番よく説明できるものを流派に無関係に選んでいるだけです。
私の魂の遍歴から見ても色々な流派を世界各地で行っており、イギリスで魔法使いだったこともあればスペインで占い師だったりインドでグルをしていたり、色々ですので、混ぜているように見えるかもしれませんがそれは逆で、まず自分の状態があって、その自分の状態を一番きちんと表現できる流派の説明を引用しているだけです。
本来、このようなものをスピリチュアルとか仏教とかヨーガとかに分類することすら不要なわけです。そもそもスピリチュアルや本来の宗教というものは根元において同一ですので、スピリチュアルと言っても宗教と言っても本質的には変わりがないのです。
自分の属している流派が特別だと思っているのであればそれは大抵スピリチュアル初心者だと思います。あるいは本当に特別な場合も稀にあるとは思いますけど、大抵の場合は初心者がそう思っているだけだと思います。
私のように長い時代を生きてきてキリスト教が栄える前も知っていますしキリスト教が魔女を弾圧したりインドでヒンドゥー教が栄えた頃も知っていますから、今更諸派に属するとか1つの流派に属すべきだとか流派を混ぜるなとかいうお話をされても時代の視点が短すぎて困ってしまいます。
キリスト教や仏教は1000年以上の歴史がありますけど、まあ、それも多くあるうちの1つです。そもそもキリストもブッダも今は生きていませんからね。流派にこだわる必要はないのではないでしょうか。キリストやブッダも割と普通の人として今は生活しているかもしれませんしね。そういうことだって時代によってはあります。
根元は同一ですので精神的な修行をする流派は根本において大差なくて、人によってやりやすいかどうか、文化的に合っているかどうかの違いがあるだけです。ですから近所の行きやすいところに行ったらいいと思うのですよ。どこだってそうは変わりないですよ。ですから、本来はスピリチュアルにせよ仏教にせよ何を名乗っても良いのです。そうは言いましても、ある程度の整理をしたいので、一応はスピリチュアルという位置付けにしています。なんとなくスピリチュアルと言った方が広範囲をカバーできている気がしますからね。
ですが、基本は上に書いたように自分の状態がまずあって、それを表現する記述を探す、という順番です。逆ではないです。
色々書いたりすると「想像することと実際は違うとか」言ってくる人がいますけど、逆なのですよね。自分の状態が先で、記述を探すのが後ですので、想像とかそういうことではないのです。
書物を読むときに特定の流派だからと言って流派で選別して全てを鵜呑みにするということはなく、自分の状態と照らし合わせて納得できる表現を流派に関係なく探すという読み方をしています。そしてそれらの表現を見つけたら自分の状態と一つ一つ比較して、おそらくその記述が自分の状態と一致しているかどうかを確認した上で引用しています。このような読み方は諸派に属している人にとっては反感を買うこともありますけど、諸派の読み方が違うのであればそれは好きにすればいいのではないでしょうか。
私の場合、グルと言える存在があるとすればハイヤーセルフと守護霊で、ハイヤーセルフはあまり口出ししないですけど元チベット僧の守護霊の方は色々と細かく教えてくれます。守護霊のお姫様の方は基本的に見守っているだけですね。
ですから、系統があるとすればそれですので、特に流派に属する必要性を感じません。多少、諸派のグルのお話を聞いたこともありますが、弟子になりたいとは思いませんでしたしね。最近は大川隆法にちょっと興味がありますが、グルと弟子という感じではなく、もしかしたら本物かもしれない、と思ってウォッチしているくらいですね。
私の元々の魂の経歴から言ってそれがそのまま流派になっておりませんので諸派に属するのもちょっと違う気がしております。属するとしたらその他にいくつか候補がなくもありませんが、それはここでは関係のないことです。ある種の戯れ、あるいは、新たなる使命のために諸派に属するということは可能性としてはなくはないですけどね。
ですから、原始仏教であってもゾクチェンであってもピンとこない文章は基本的にスルーしていますし、ピンとこない記述を暗記するなんてこともしません。例えばそのような読み方をすると、おそらく今の自分の状態はシャルドルに相当するのでは、と読み解けたりするわけです。