「みんな一緒」とか言うスピリチュアル

2021-11-12 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

それはとても高いレベルでは確かにそうで、ヨーガやヴェーダンタでアートマンとかブラフマンとかプルシャとか言われる段階ではそうですけど、だからと言って、普段の生活で他の人と全てを分かち合うとか「みんな一緒」とかいうお話にはならないわけです。

それはしっかり勉強すればわかることで、そのようにヴェーダンタ等で言っているのは「どんな人であっても根源としてのアートマンあるいはブラフマン、またはイーシュワラとか言われている存在は同じ」と言うだけであって、例えば、獣であっても人間であっても土であっても石であっても水であっても空気であっても全てはアートマンだ、と言っているわけです。

土は土であって、石ではありません。
同様に、水は水であって、空気ではありません。
人間は人間であって、獣ではありませんし、石でもありません。

その根源を見れば全てアートマンですけど、そのことと「みんな一緒に」みたいなお花畑のスピリチュアルとは関係ないわけです。お花畑のスピリチュアルでは「みんな一緒」「ワンネス、楽しい楽しい、みんなで踊りましょう」みたいなことを言っていますけど、そうやって踊っていても踊っていなくても変わりなくみんな同じアートマンで、踊っているからだとか、踊っているからだとか、そのような「条件付け」に左右されないのがアートマンなわけです。

それはいわば理解するしかないものということもできて、感情的に理解するものではないわけです。

感情的なスピリチュアルはお花畑でワンネスとか言っていますけどお花畑であろうと何であろうと、スピリチュアルとは無縁の生活を送っていても、獣のような人であっても、全てはワンネスでアートマンなわけです。そのような条件付けを超えているのがアートマンなわけです。

よくわかっていない人がやっているお花畑のスピリチュアルは要は「自分が傷つきたくない」というところが拠り所で、自分が傷付けられない条件付けとして色々な制約を周囲に課しているわけです。自分も相手を傷つけませんので貴方も私を傷つけないでください、という、ある種の合意がそこになされるわけです。

ですけど、実際のところ、何をしても全てはアートマンなのですから、そのような条件付けをすればするほど敏感になってしまい、症状としては「キレやすく」なってしまうわけです。スピリチュアルとか言っておきながらすぐにキレる人の種類のうちの1つはこれが原因です。

世の中の宗教者を見ればお互いに仲が悪いでしょう。そのようなレベルにおいては感情面でのスピリチュアルをしていて、お互いに足を引っ張ってしまい、なかなか先に進めないわけです。