意識を胸に合わせ、奥深いところから 胸でオームを唱えていると、胸の奥に何やら人間のような形をした小人が光っていることに気がつきます。
元々、体全体の薄い感覚などはありましたし、胸を中心として体やマインドを動かしているという実感はありましたけど、胸の奥に何やら光った小人のような意識体がいることに気がついたのはごく最近のことです。
それは胸の奥底でオームを唱えれば唱えるほどはっきりと見えてきます。
オームだけでなくガヤトリ・マントラやチベットのマントラを唱えたりしていますが、不意に、どのマントラが聞いたのかはそれほど定かではありませんけど、意識体が胸の奥底にぽっかりと不意に、そしてやがて少しずつはっきりと現れてきます。
瞑想をする前は割とぼやけていますけど、座った瞑想を始めると割とすぐに意識体が現れ始め、マントラを数回唱えるとすぐにその小人のような意識体は白く輝き始めます。
これは、もしかしたら、ヨーガの聖典で言われている「胸の奥の小部屋」というものかもしれません。
それは有名なハート・チャクラ(アナハタ・チャクラ)とは違って、そのすぐそこにありますが、とても小さな小部屋です。 それを読んだ原典を探したのですがすぐには見つけられませんでしたのでいずれ見つけた時に記載します。
胸を中心にした感覚に関しては、今まで、いくつかの段階を経てきました。
1.創造・破壊・維持の意識の胸への広がり
2.意識が体をダイレクトに動かしていることの実感
これはこれで、いわゆるアートマン(真我)が自分を動かしていて、かつ、自分を観察している状態だと理解しておりました。
これに加えて、胸の奥に小人のような輝く存在がいたことにより、これが私のアートマンの本体なのかもしれない、という感じになってきました。
ヴェーダンタでは、個人は自我としてのジーヴァ及び分断された個としてのアートマン(真我)として表現されていてジーヴァの方は錯覚としての自我(エゴ)としての自分であり、一方、アートマンは実際には全体(ブラフマン)の一部としてのアートマンなわけです。
その、分断された、個としてのアートマンがこの輝く小人なのかもしれない、という気になてきました。
この種のことは、実際には何なのかは聖典に当たってみるのがよく、この記述と全く一致するような記述はなかなかありませんのでまだ仮説にしか過ぎないのですけど、これがアートマンの本体なのかな・・・? という気も致しますが、どうでしょうか。