中には本当もありますけど、そうは言っても、100%というのはほとんどありません。と言いますのは、魂(幽体)がそのまま転生する場合と、一旦グループソウル(類魂)と一体になってから分霊を作って転生する場合があって、有名人というのがそれなりに大義を成した人だった場合、その魂は往生して昇天してグループソウルに帰りますから、一旦グループソウルに帰った場合はグループの中に一旦は溶け込んで、コアの部分は一応は温存されますけど、コアを元に新たな魂が分離したとして、それは同じ人ではあり得ないのです。
コアが同じならば同じ人、という理屈は一応は成り立つと言えばそうかもしれませんけど、私はその場合は同じ人とは考えなくて、単にコアが同じ人、として考えます。
その、コアが同じ人の転生の回数というのは見方によって変わってきて、全く縁のない人にとってみれば転生の1回目ということになりますし、それはそれで違和感がなくてそう言われたとすれば「それはそうですね」となるのですけど、同じコアが以前の分霊の時に知り合った人が「コアが同じで再度グループソウルから分離した分霊」と再度知り合いになる時に、コアが同じだから同じ人で転生を繰り返していると考えるのか、あるいは、コアが同じだけれどもグループソウルから再分離したので違う人と考えるのか、あるいは、単純に「コアが同じ」と考えるだけで転生をカウントしないのか、それとも、一部が同じ魂だから転生をカウントする、あるいはそれはカウントしない、と考えるかで転生の回数のカウントの仕方が違ってくるのです。
ですから、「誰それの有名人の生まれ変わり」みたいに単純化できるものでもなくて、実際のところ、言おうと思えばグループソウルが同じところに属していさえすればそのようなことは言えてしまうわけで、となると、考え方次第では「誰それ有名人の生まれ変わり」というのは、とてもとても多く存在することになります。
ですけど、一般の人の転生のイメージというのは同じ人がそのまま100%転生する、というイメージになりますから、そのように、同じ魂がそのまま転生するというのは昇天できなくて彷徨っている場合に限られていて、それは、あるとしても、そこまで良いことではないのです。昇天できないからこそグループソウルに戻ることができなくて、それ故に100%の転生を繰り返しているということですから、褒められたものでもないのです。
あるいは、聖なる存在が死んだ時には魂が分離することもあります。聖なる部分が昇天してグループソウルあるいは元々属していた神様のところに入って、残りが地上に残って転生を繰り返す場合もあります。この場合でも、残された転生した方の生まれ変わりだとしたら昇天できなかった部分が転生しているということになりますから、有名人の生まれ変わりだと言われて喜んでばかりもいられないわけです。
■昇天するといわゆる転生はしない
この、魂の遍歴を「魂のコア」と「所属しているグループソウル」にまで辿った上で誰それの有名人とどのくらいの関係があるのかまで判別することができれば自分自身の魂の経歴を知ることで自分自身の成長の糧にもできるでしょうけど、単に占い師やスピリチュアルカウンセラーに誰それの生まれ変わりだと指摘されたところで、それがどのくらい正確かというと、眉唾なことが多いとは思います。
例えば、有名どころでいうとジャンヌ・ダルクは死後に3つに分かれました。三分の一の純粋な神の意識はグループソウル(ハイヤーセルフ)に戻って神の意識と一体となりました。この場合、海の中に川が流れ込むのと同様に、個体としての存在はなくなってハイヤーセルフ(グループソウル)のみになります。よって、この上位の三分の一の部分はもう転生しないのです。中間の三分の一はそれでも高貴な魂でしたのでヨーロッパの現在フランスにある、とある貴族の娘として生まれ変わりました。火炙りになったことによって苦しみの念が残ってしまった下方の三分の一はしばらくあの世を漂った後、とある2人の日本の神様にとあるお願いをされて、その要請を受ける形でとある有名な、日本人なら誰でも知っている武将として生まれて名を挙げました。純粋な三分の一はその後は生まれ変わることなく神の意識として存在し続け、中間の三分の一はヨーロッパで何度か転生を繰り返しました。日本の武将として生まれた下方の三分の一の部分は、それはそれでその後苦労をしました。そして、それぞれの転生と人生でそれぞれ魂の分裂や統合、昇天、および、グループソウルからの分霊が追加で加わる、など、各種の変化があります。そのように、生まれ変わりというのは単純ではないのです。
ですので、色々と実際はあるのですけど、ざっくばらんに言ってしまえば、自分の今の人生は一度きりというのはそう間違いでもなくて、魂は継続はしますけど、今の個性と魂そのままで生きられるのは割と今回それっきりだったりするわけです。昇天せずに転生する場合は割と同じ個性で生まれ変わりますけど、それは昇天できなかったということで割と失敗の部類に入ってしまいますので、成功した人生であれば昇天してグループソウル(ハイヤーセルフ)に戻りますので、昇天をベースに考えるならば今の個性での人生は一度きりと考えてしまってもそう間違いでもないわけです。
歴史上の有名人がスピリチュアル的に偉大であればあるほど丸ごと昇天する可能性あるいは分裂して神に近い部分だけが昇天してグループソウル(ハイヤーセルフ)に戻る可能性が高くなりますので、偉大であれば偉大であるほど転生という可能性が少なくて、スピリチュアル的にそうでもなくて単に影響力があったという場合は転生している可能性がそこそこあります。どちらにせよ、転生というのは必ずしも良いものでもなくて、本来は一回で使命を果たすべきなわけです。
一方、グループソウル(ハイヤーセルフとも言う)に統合した後、特定の目的があって再度分霊ができることがあります。その場合、同じコアの場合は生まれ変わりと言えなくもなくて、昇天しても生まれ変わる、と見なそうと思えば見なせるわけですけど、それは世間一般で言われているような「そのままの生まれ変わり」ではないわけです。昇天してから再度分霊ができる場合は「特徴、あるいは、目の雰囲気、顔の雰囲気が似ている」というくらいの類似性はあって、コアが同じ場合はもっとよく似ることになります。ですけど、それが世間一般で言われている「そのまま100%の生まれ変わり」かというと、そうではないわけです。
この辺りを分かった上で、コアが同じ場合に便宜的に「生まれ変わり」と表現することはそこまで間違いではないにせよ、誤解のあるお話かなと思います。
意図的に、前の人生に似せて分霊を作ることもあります。この場合、前の分霊の時との繋がりを重視する目的があったりします。そのコアにしてもどのくらい強く引き継ぐのかによって変わってきて、言い換えれば、コアとその周辺も含めて引き継ぐのか、コアの近くだけを引き継ぐのかでも分霊の性質が変わってきます。
この辺りは、きちんと見ていかないとわかるようなわからないようなお話になりますので、ざっくばらんに話すときは説明が大変だったりしますので簡単に「生まれ変わりがある」と言っても良いし「ない」と言っても良いのですけど、実際には細かく見ないとどうなっているのかはわからないわけです。