自分が興味のない人と無理に付き合わない

2024-10-12公開 (2023-12-30 記)
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

このようなこと言うと、私の言っていることを勘違いして「他人に興味を持たないなんて、なんて酷いことを言う人なんだ」と言う方もおられるかもしれません。実のところ、一律にそのような常識と同調圧力があるからこそ、本来は交わる必要のない、交わる価値のない人達の間でオーラの交換が起こって、波動が低い人にとっては(高い波動のオーラをもらって)元気になって良いかもしれませんですけど、相対的に波動が高い方の人は他者の低い波動のオーラをもらってしまって苦しむわけです。

基本、他者とは無闇に関わりを持たずに、関わりは選択的に行う、という当たり前のことを言っているだけで、その選択と意思が優先されるとすれば「皆と仲良くすべき」とか言う道徳のお話よりも(自由と選択が)優先されるべきなわけです。ですが、特に教育の場面においては一律に「仲良くしなさい」という身勝手な理屈が優先していて、子供の精神的な成長を阻害しているように思うのです。このような、大人の勝手な子供への身勝手な躾けと教育方針がいつの間にか一般常識かのようになっていて、いつしか人間の自由意思と非干渉の法則よりも上かのように誤って扱われてしまっていて、それ故に、操作・被捜査の関係が(特に教区の現場で)正当化されてしまっているように思います。

望まない人間関係を持つと、輪廻転生に影響が出ます。


▪️自由意志と子供の成長

特に、子供はこのあたりがわかっていないことが多いですから、誰かが「興味無いと言ってるでしょ」と言ってもそれに理解を示すどころか、他の子や時に先生までもが「仲良く一緒に遊びなさい」とか言う無理解と同調圧力をかけてしぶしぶ従って一緒に遊ぶことで「大人は喜び、一方、子供たちは操作・被操作の権力ヒエラルキーが構成されることが多々あるわけですが、そうして付き合わされる方は大迷惑なのです。大人たちの世界においては操作・被操作が当たり前だったかもしれませんし、(大人たちの教育方針として)子供達の中にヒエラルキーを作ることで秩序を作る、という方針が教員たちの間にあるのかもしれない、と勘ぐってしまうほどです。ですが、この種の、ヒエラルキー構造による子供の関係の秩序化というのは昭和の考え方であって、今の子供達に合っていないと言えます。

とは言いましても、そもそも子供はこのあたりをわかっていないですし、大人もわかっていないことが多々あるので、子供の成長を阻害していることに無自覚だったりするのです。子供はまだ自由意志が曖昧ですけど、このような同調圧力の中で生きていると自我が目覚めず、スピリチュアル的に言うとグラウンディングが弱くなって、男なら思春期に男らしくなることができなかったり、女も思春期に女らしくなることができなくなったりします。

結果、自由意志がなくて性に無自覚なLGBTが増えてしまうのも、自由意志を潰して自我を目覚めさせないという教育にその一旦があったりするわけです。

実のところ、この宇宙の基本原則は自由と非干渉の法則ですから、「皆と仲良くすべき」みたいな道徳より、自由と非干渉の法則の方が上に来るのです。このことがわかっていなくて、自由意志よりも操作・被操作のヒエラルキー関係を優先することで、結果、自由意志を許さない、という方針で教育にせよ仕事にせよ行われていることがあまりにも多いように思うのです。

自由意志の優先度が下がるのだとしたら、身勝手な人に搾取されて操作と被操作の関係が正当化されてしまうことでしょう。それは詐欺師や他人を奴隷にしたい人だけが喜ぶ論理であって、実際は、他人と関わるかどうかと言う最初の時点から選択の自由があるのです。

ですから、執拗に関わって来る搾取者に対しては脇を甘くしない姿勢が大切なわけです。それは大人はもちろん、子供に対してもそうで、とは言いましても子供は基本的なところが分かっていないことも多いですから、大人が守ったり導いてあげる必要があると思います。ですが、大人もこのあたりがよく分かっていないことが多く、どうしようもない状況になっているように思います。

操作・被操作の関係になってしまうと、輪廻転生に影響が出ます。自分の人生を生きられず、他者に搾取される人生は本来その人がやりたかったことができないばかりか、他者を勘違いさせて自己正当化を加速させることになり、学びの機会を奪ってしまうことにもなります。

今の世の中は、会社や社会の地位が高いのにも関わらず何もわかっていない、他者を操作することにだけ長けている人が大勢いるわけですが、それは、脇の甘い善人がそれを許しているから、という面もあるのです。そのような状況では、本来の学びをどちらの側も(操作している側も被操作の側も)することが困難になり、学びが少ないということは、輪廻転生で同じような人生を送ることが長引くことになります。

他者を操作している側は、他者を操作することで現世的な利益を得ることができるので自己正当化して、そのコンファタブル・ゾーンを出ない、そこから外れることを極端に怖がる、自分の地位を脅かす者に対してヒステリーになるほど敏感に反応する、ということを繰り返し、そこから抜け出ることができずに学びがなかなか進まず、輪廻転生でその課題をクリアできずに転生の回数がどんどん増えてゆきます。

被操作の側にしても、自分がやりたい人生を送れずに、他者から強制された人生を送っていては本来の目的が達成できず、生まれるときに立てた目標が達成できずに「人生失敗」になる可能性が増えるわけです。

それもこれも、自由意志を優先させずに操作・被操作の関係を甘んじて受け入れていたからこそ起こった悲劇ですけど、実のところ、それすらも、甘んじて受け入れたという自由意志があるからこそ現実として継続しているのですから、ことあるごとに「私はこんなことは許可しない、拒否する」と宣言すれば良いのです。

とは言いましても急に行うと暮らしや職業に困難が出るかもしれませんから、今までずっと自由意志を蔑ろにしていたのであれば少しずつ自由意志を強めていけば良いわけです。