風のルンの竜巻でマニプラ優勢からアナハタ優勢に変化

2019-07-05 記載
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

2019年7月5日、ちょっとしたクンダリーニっぽい経験がありました。
実は今、足首を骨折していますので家でストレッチしたりしてリハビリ中なのですが、今朝もストレッチした後にうとうとして横になっていました。

夢うつつの中、実際に会ったことはないですけど成瀬雅春先生というヨーガ行者のおじいちゃんが夢に出てきて腰をグルグルうずまき状に回しているではありませんか。「あれー? この人は確か・・・」と思っていたのですが、何故か真似しようと思い始め、自分も腰を動かそうとしたのですが寝ているので腰が動きません。夢の中ですから動いても良さそうなものですけど動きません。ですので、どーしようかなー と思ったらふと閃いて、指を使って水面にうずまきを作るかのように(自分を中心に)その指(確か右手の人差し指?)を自分の周囲にグルグルと回し始めました。肉体の指を使うのではなくて夢の中で指をグルグルと動かしたのです。最初ちょっと左回りを試したら何も動かないので、それじゃあ、ということで、反対向きの右回りで指を動かし始めました。すると、体の周り、特に腰の周りに竜巻が起こり始めました。なんだこれ! あくまでも夢の中のお話です。驚きつつも指はずっと回転をしてうずまきし続けています。体の周囲に「風」とでもいうような軽い空気の塊の流れができて、まるでうずまきです。その作られた竜巻をどうしようかなーと思って、試しに上の方にちょっと指を動かしてみると、竜巻が上に動くではありませんか!最初は腰のあたりで回転していましたので、とりあえず、胸のちょっと下まで上げました。更に上に上げるのは最初ちょっと躊躇したのです。というのも、こういうのは基本的に「背筋をまっすぐ」にしていないと危険だと思ったからです。今は寝返りして横向いているから体がまっすぐでないかもしれないので、何かおかしなことになったら嫌だから一旦体の向きを変えるべきかな? とも思ったのですが、もたもたしていると竜巻が消えてしまうかもしれない気がしましたので、「まあいいや、上げちゃえ」と決断して、更に指を上に動かしたら無事胸を通過して喉を通過して頭のあたりまで竜巻が来たところで頭の周囲で発散して消えました。特に変なことにはなっていない模様。危険性はなさそうです。竜巻が舞っている間は音がちょっとだけしていて「シュルシュルシュルシュル」って感じだったような?

ここでさすがに目が覚めて、「うーん、夢だったのかな?」と思ったら、胸のあたりにちょっとだけジンジンする感覚が数分残っているのと、背筋の上の方、うなじのちょっと下の突き出た骨のあたり(大椎、だいつい?)の血液がドクドクと波打っていました。うなじの下(大椎?)の血液がドクドクする感覚は、昔クンダリーニ経験(第2回目)をして腰の後ろのちょっと下側あたりで血液がドクドクした感覚に似ていましたので、その時に比べるとずっと弱い感覚ではあるのですが、やはりこれはクンダリーニに関連した経験だったのかなー? と、とりあえず解釈することにしました。前回のに比べると随分と小さなパワーでしたけどね。

シバナンダ先生がおっしゃるように、何度も何度もクンダリーニを上げてアジナ以上に保つことができるようにならないといけないのかもしれない、と、ふと思いました。であれば、今回は全然保てていないです。 → 最初はこんなことも思いましたが、後ほど認識が変わりました。この日以降、アナハタ優勢に変わりましたので。

今回、コツと言いますか、渦巻きの使い方というか作り方の感覚がちょっと気付けたので良かったかなと。瞑想中に似たような感じで回転をイメージすれば再度エネルギーを上げられそうです。

前記事に詳しく書きましたが前回は自分の体が全身で左回転したのですが、今回は体は静止したまま指で右回転の渦巻きを作った、という違いがあります。どちらも、パワーの流れる方向は実は同じなのかもしれないです。体が左回転ということは周囲のパワーは右回転してるわけですし。実は同じことなのかも? 面白いです。

前回はクンダリーニ後にとても暖かかったのですが、今回は小さい体験ですし、ほとんど前後で差はない感じです。今のところは。

■風のルン
直感ではこれは「風」のエネルギーだと思いました。「風」というとアナハタ・チャクラのエネルギーですよね。アナハタでジンジンした感覚はそういうことだったのかもしれません。ここでいう「風」とはチャクラの属性の「風」の意味です。ヨガの5大元素:地・水・火・風・空はそれぞれチャクラに対応していますけれどもアナハタ・チャクラは風(Air)です。

夢の中では「風のルン」って何回か誰かが私に語りかけていました。「竜巻」というのは私の感覚が解釈したものですから、元々のこの現象の呼び名は「風のルン」が正しいのかもしれません。「ルン」ってなんぞや? どこかで聞いたことあるけれども・・・ と思って調べたら、チベットにおいて生命エネルギーのようなものの呼び名が「ルン」で、その意訳が「風」とのことです。こんなこと全く知らなかったですよ! 気功で言うところの「気」やヨーガでの「プラーナ」に近いもののようです。

■うなじ下(大椎?)はどのチャクラと関係?
最初、うなじ下はアナハタともヴィシュッダともちょっと離れているのでよくわからない感じでした。ヴィシュッダ・チャクラというと「喉」かと思っていましたし、アナハタ・チャクラは胸ですから。ヴィシュッダ・チャクラの場所ははっきりしていて、(今日のことではなくて)以前から度々ジンジンと感触があるのは喉仏のあたりでしたので、反応している喉仏のあたりがヴィシュッダ・チャクラなのかなあと漠然と思っていたのです。ですから、背筋のうなじ下(大椎?)はヴィシュッダでもないしアナハタでもないし、何だろう・・・ と思っていたのです。

ちなみに、各書にあるチャクラの図は例えばこんな感じになっています。

↑ シバナンダ先生の「ヨーガとこころの科学」にはこうなっています。こう見ると、喉仏のようにも見えますし、その裏側の「背筋のうなじ下(大椎?)」こそが実はヴィシュッダなのかも? という気もしてきます。


↑ シバナンダ先生の弟子であるヴィシュヌデバナンダ先生の「Meditation and Mantra」に記されている図も同じ感じです。


↑ こちらは神智学の「神智学大要 第1巻 エーテル体(アーサー E.パウエル 著)」にある図です。これですと喉仏なのが明らかですね。


↑ これは神智学の「チャクラ(C.W.リードビーター 著)」にある図ですが、一番しっくりきます。背筋のうなじ下(大椎?)からアナハタ・チャクラに伸びています。今までアナハタ・チャクラの感覚はあるようでないようで、あまりちゃんとしていなかったのですが、どうやら、うなじ下(大椎?)のナディ(エネルギーの通路)の詰まりが解消されてアナハタまで通じるようになったと解釈するのならば全てがしっくりきます。まあ、まだ当日ですからそれほど変化はないですけど。

うなじ下(大椎?)のエネルギー・ルート(ヨガで言うところのナディ)が開いたとすると、その先に繋がっているアナハタ・チャクラとヴィシュッダ・チャクラの両方に関係している、と考えるのも理にかなっている気がしてきました。これが最終的な理解かもしれません。まだ様子見ですが、喉のあたりのヴィシュッダ・チャクラも以前よりザワザワした感覚が続くようになりましたので、影響している気がします。以前は、時々ザワザワするだけでしたが今はザワザワが続いている感じですので(少なくともこれを記入した数日後までは)、変化を感じます。アナハタも影響を感じますので、ナディが開けてアナハタとヴィシュッダが変化した、と言うところでしょうか。

■許す瞑想
そう言えば竜巻の当日は普段と違う事があって、普段私は沈黙の瞑想かナーダ音に集中する瞑想を行なって静寂に入るのですが、その日に関しては、足首の骨折をしたのはカルマだったかもしれないし、最近はちょっと雑念も出てきているので、カルマ解消のために今日は「許す」瞑想をしようと思って、「〇〇を許します。△△を許します。あの人(具体的な人)を許します。あの人(具体的な人)も許します。」と念じながら、昔の記憶を頼りに色々なカルマというか、まだ残っている雑念の元に対して「〜を許します」という瞑想をしたのでした。私は普段この種の瞑想はしないので、今朝に限ってそれが違う点でした。それがどの程度これと関係があるのかわかりませんし、たまたまかもしれませんけど。上の経験は瞑想中に起こったことでなくて、瞑想の数時間後に起こった事です。この瞑想をした時は、普段の瞑想と違って静寂さこそ足りませんでしたけど深いところにある何かシミのようなものが一つづつ解消されてゆくような感覚を感じました。瞑想中なのでなんとなく、の話ですけど。

これがどれだけ影響していたかは実際のところわかりませんが、きっと多少は影響していたような気がしますし、だとすれば、意外に変化というものは自分の意図によってすぐに作り出せるものなのかもしれないと思いました。長い間待ったり修行したりする必要がある気がしていても、実際のところ、割とすぐに変化できるのかもしれません。これまた、なんとなくそう思った、という仮説の話ですが。

■「許す」ことの意味
今日まで、私はもしかしたら「許す」ということの意味をきちんと理解していなかったかもしれないです。許すとは頭や心で理解することではなく、文字通り、その人に対して反感を「全く」抱かなくなることであり、「許す」とは完全なる平穏な心が伴うものなのかな、と。であれば、例えばキリスト教などで許すお祈りがあったとして、その本当の意味はこういう完全な許しなのかな、と。

■アナハタ・ショック
アナハタ・チャクラにあるヴィシュヌ・グランティが破れる時は俗に「アナハタ・ショック」と呼ばれるような強烈な衝撃があると聞いており、人によっては口から白い泡を吹いて倒れたりするらしいので、私の場合はそんな激しい衝撃は全くと言っていいほどなくて、アナハタがジンジンしたのとうなじ下(大椎?)の血液が強く脈打つ以外は別に普通な感じです。人によるのか、それともまた違う現象ですかね。単なる夢かもしれないですけど。とりあえず様子見です。半日後でも多少は胸のあたりにジンジンするものが残ってるくらいですね。倒れるほどでは全くないです。

そういえば、昔から何度か、このアナハタ・ショックに関して私の内なるガイドが瞑想中に教えてくれていたことを思い出しました。アナハタ・ショックをしてしまうと時には内部の微細な機関を傷つけてしまって、事と次第によっては今生での霊的な成長ができなくなるほどのダメージを受ける事があるのでアナハタ・ショックのような過激な方法でヴィシュッダ・グランティを突き破るのは好ましくない、と教えてもらっていたことを思い出しました。まあ、瞑想中の事ですのでこれが絶対的に正しいとは限りませんけど、たぶんそうかなあ、と思っています。ですから今回、ちょっとチクチクするくらいでさほどショックなしに切り抜けられたのだとしたら良かったと思いたいです。