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クンダリーニがアナハタまで上がった。許されています。アートマンはどこに?

2019-07-26
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

■クンダリーニがアナハタまで上がった
先日の「風のルンの竜巻」 の経験以降アナハタが優勢になっています。ちゃんとは書いていませんでしたがこのことがいわゆる「クンダリーニがアナハタまで上がった」状態かなと思っております。第2回目クンダリーニでいわゆるクンダリーニっぽい経験があって、今回の竜巻では同種の感覚ではなかったものの、アナハタ優勢になっています。初回は「熱」が中心でしたが、今回は「風」が上昇した感じです。エネルギーの違いかなと思っております。

クンダリーニヨガ系の書物を見るとクンダリーニを数十分〜数時間の行法でムーラダーラからアナハタを超えてアジナやサハスララまで上げる方法などが書かれてあったりしますが、そのように短時間でクンダリーニを上げる行法のことは私にはよく分かりません。書物で読んだことはありますが私自身の体験としてそのような短時間でのクンダリーニの移動は経験がありません。第2回目クンダリーニの「熱」をそのままアナハタ以上に上げるのはエネルギーの種類が違うのであまりよくない気もするのですがどうなのでしょう?

ここで「クンダリーニがアナハタまで上がった」と言っているのは、クンダリーニの「居所」がムーラダーラ(あるいはマニプラ)からアナハタまで移動した(上がった)ということで、そのことを、きっと「クンダリーニがアナハタまで上がった」と言うのかな、と思っております。この辺りは流派によって色々とあるかもしれませんね。クンダリーニの居所が変わることを「上がった」とは言わない流派もありそうですし。

上がるだけではなく、エネルギーの質も「熱」から「暖」に変わっています。

当日の記事を読むとこの辺りは「夢の中」で起こったことになってますので、読んだ方は「え。現実ではなくて夢でしょ?」とお思いになるかもございませんが、ヨーガやスピリチュアル的には夢も現実なのです。ですので、私にとって夢での経験が現実に影響することは全く違和感がないのです。

■許しの瞑想の続き
先日書いた「許しの瞑想」の続きです。
最初は(自分が)「許す瞑想」(該当記事) でした。
次は (神様に)「許しを請う瞑想」 (該当記事) に変わりました。

今日は、その許しの瞑想が(主体なしに)「許されています」に変化しました。

「神様に許されています」ではありません。
「誰かに許されている」ではありません。

ただ、「許されています」に変化しました。

冠詞はなくても良いですし、主体はなくても良いのですが、あえて主体をつけるのであれば「太陽に許されています」ならアリです。「太陽の光に許されています」よりは「太陽に許されています」の方がしっくりきます。

特に付け加えることはほとんどないのですが、あえて説明のために言うならば「存在することを許されている」「太陽に存在することを許されている」「太陽が許さなければこの世のものは何者も存在できない」と言う感じがします。であれば、この地上に存在するだけで、それは太陽に存在を許されていると言うことなのかもしれません。この地上に存在すると言うだけで、それは既に太陽に存在を許可されているとは凄いことです。許容力が絶大ですね。

■アートマンは十字架の姿?
先日の「アートマンはどこにいる?」 (該当記事) の続きです。
アートマンを今日も探したところ、自分の正面にいるのは同じなのですが、その姿が「十字架」っぽい気がしました。十字架の形で何かがあって、後光が差している感覚。十字架のところだけ若干暗いです。これが何なのかまだ掴めていませんので、もう少し様子を見ます。

■第三禅定と第四禅定
先日の第三禅定と第四禅定のお話の続きです。
ほぼ同一ではありますが、「釈尊の生涯 (中村 元 著)」に第三禅定と第四禅定の描写があります。

第三禅「平静であり、念あり、安楽にとどまっている」
第四禅「楽を捨てて苦を捨てるがゆえに、先に喜びと憂いとを滅したので不苦不楽であり、平静と念とによって清められている」

ここまではほぼ同一なのですが、先日のアビダンマ仏教では第四禅定が悟りではなくてその先があるのですが、こちらの原文を見ますと、第四禅定で悟りになっています。原文とは言いましてもブッダ本人の著作ではなくて弟子の残した文章ですので必ずしも正しいとは限りませんし、ブッダは語る相手によって言論を使い分けていたと言いますから鵜呑みにはできませんが、第四禅定で悟りにしている点は興味深いです。



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