■呼吸がしやすくなりました
別記事で書きましたが、クンダリーニ(2回目)経験後から呼吸が浅くなり、クンバカが極端に苦手になっていました。同様に、以前は自動的に息が止まるケヴァラ・クンバカという自動的なクンバカ(息止め)が瞑想中や休憩中に普通に起こっていたのですが、クンダリーニ(2回目)以降はケヴァラ・クンバカも起こらなくなっていました。ケヴァラ・クンバカは落ち着いた静寂な心があると自動的に起こるとされています。ずっと息が止まっているわけではなくて、必要とあれば自動的に呼吸が再開されるような種類のものです。私の場合、ヨガを始めてしばらく経った後、ナーダ音が聞こえ始めた頃だったか、その前後くらいから心が落ち着いてきて自動的に息が止まるケヴァラ・クンバカがよく起きていました。その後、クンダリーニ(2回目)によってパワーは向上してポジティブになったので心は基本的に落ち着いてはいるのですが、何故か呼吸だけは浅くなってケヴァラ・クンバカが起こらなくなったのです。
ですが、今日のこの経験後から急に呼吸が深くなり、クンバカもかなりしやすくなりました。まだ当日なのでケヴァラ・クンバカとまでは行きませんが、かなり呼吸が違うのを感じます。昨日までは、胸のあたりが詰まっていてそこに呼吸が入らない感じでしたが、今は胸いっぱいに息を吸う事ができます。こんな急に変わるものですね・・・。不思議です。
■息が浅いのは「何かが詰まっている」状態?
別記事に追記しましたように「器÷エネルギーの強さ=クンバカの時間」の関係があるようで、第2回目クンダリーニではエネルギーが強まって息が相対的に浅くなってクンバカが短くなりましたが今回は器が大きくなって息が深くなってクンバカも長くなった感じです。
スピリチュアルでは息が浅い状態は「何かが詰まっている状態だから詰まりを取る必要がある」と言われていて、基本的な意味は「詰まっていなかったものが詰まってしまったから取り除く必要がある」ですが、それに加えて上記の計算式の「器」と「エネルギーの強さ」も加味して解釈すると「エネルギーが強まったので器が小さく感じるようになってしまったから器を大きくする必要がある」「エネルギーが強まったので今まで意識していなかった場所に詰まり(ブロック)があることが分かった(もともと詰まっていたが気付かなかった)。新たに判明した詰まり(ブロック)を外す必要がある」という意味にも解釈できそうです。それはまるで、気球に空気がちゃんと入っていなかったのに気付かなかった状態から改めて空気を入れてちゃんと膨らませて布が伸びること、あるいは、風船にちゃんと空気が入っていなかったのがもっと空気を入れることでゴムの端っこも伸びてハリが出るようになったようなもの、とでも言えるでしょうか。
■ケヴァラ・クンバカと背筋をまっすぐにする姿勢の関係
呼吸がしやすくなったのと同時に、再度、ケヴァラ・クンバカ(自動的に起こる息止め)も時々起こるようになりました。時には、起こりすぎて息がずっと止まってしまい、意識的に吸気をしてあげなくてはいけない時があって、そんなときは「面倒だなあ」と思うくらいになりました。でも、同じケヴァラ・クンバカでも自動的に無意識に吸気できている時もあって、意識的に吸気をしないといけない時とは何が違うのかなあ・・・と思っていたのです。観察したところ、どうやら背筋がまっすぐのときは呼吸が自然にできており、背筋が曲がっているとケヴァラ・クンバカの後の吸気がうまくできないことに気付きました。瞑想や普段の生活で背筋をまっすぐにすることがこれほどまでに呼吸に影響するなんて、以前はそんなことありませんでした。敏感になったのでしょうか? このあたりは、ちょっと様子見です。それにしても、ヨガなどで「背筋をまっすぐ」という教えにこんな微細な影響があったなんて驚きです。てっきり、スシュムナを真っ直ぐにしてクンダリーニ等のエネルギーを通りやすくするくらいの意味なのかなと思っていました。それだけではなかったのですね。まあ、あくまでもそんな気がするだけですが。
■ケヴァラ・クンバカと「枕」の関係
寝る時もケヴァラ・クンバカが自動的に起こるのですが、枕をして上を向いて仰向けで寝ると、前に書いたのと同様、吸気がうまくできません。横になって背筋をまっすぐにすると吸気が問題ないのですが仰向けにするとケヴァラ・クンバカの後の吸気がうまくできないのです。これは、第2回目クンダリーニ前に起きていたケヴァラ・クンバカのときは問題なくて、今回初めて問題になりました。一体どうしたものか・・・ と思ったのですが、試しに枕を取って布団の上にそのまま寝てみたところ吸気がうまくできるようになりました。枕をしていると少し猫背になってしまっていたのかもしれません。枕なしにすることで背筋がまっすぐになったのかもしれないです。今まで布団の上にそのまま寝ると調子が悪くなってしまっていたので枕なしで寝るのはあまりしたことがなく、せいぜい薄い枕を試すくらいだったのですが、どうやら今日のところは問題なさそうです。これもちょっと様子見ですね。過渡期だけの問題かもしれませんし。まだ数日なのでこれから様子を見ます。
■アナハタ・チャクラが開いた?
これがいわゆる「開いた」状態かどうかはわかりません。様子見です。前よりは胸に空気が入りやすくなりましたので、一応少し開いたと言えなくもないです。一気に開くというよりは徐々に動き出すようですから、最初はこのくらいでもいいのかもしれません。
■楽観的でポジティブであるべき
ヨーガの本山博先生は「密教ヨーガ」にて、サッチャナンダの言説を引用しつつ「アナハタの目覚めを志す人は、希望に満ちた楽天家であるべき。」 「一切を善とみなす態度こそ、アナハタを目覚ます行法の1つ」と述べています。
■アナハタ以上に至ればカルマに従わない
「密教ヨーガ(本山博著)」によると、マニプラまではカルマに影響されていますが、アナハタ以上に至った人は基本的にカルマには従わないと言います。アナハタに至ればカルマが現実であるのを知ってはいるが超越して自由でいられる、と言います。その点がマニプラまでとアナハタとの大きな違いとのことです。マニプラは情を司っており基本的にはカルマに支配されているものの意思の力でそれをコントロールすることができます。一方、アナハタになると基本的にカルマに束縛されないとのことです。
このことは、上記のように私が過去のトラウマに対して「〇〇を許します」と瞑想した時の感覚の違いに現れていると思います。先日の竜巻の経験の前では、過去のトラウマを思い出す度に多少ながら神経にショックが走っていました。このトラウマは子供の頃から蓄積されていたものであり、物によっては何十年も度々思い出してきたトラウマでした。ですから、なるべく思い出さないようにして、思い出したとしてもそのトラウマの反応を自分で律していました。なるべく早く気付いて律するのが基本でありました。最近は随分とトラウマのショックが小さくなってきたな、と思ってはいたのですが、それでもゼロではありませんでした。
それが、先日の竜巻の後は、トラウマのことを思い出してもショックが起こらないようになりました。ショックがゼロでした。しかも、全てのトラウマに対して。いくつもトラウマがあった筈ですが、ショックが起こらないのが不思議でしたので、試しにその他のトラウマも意識的に色々と思い出してみたところ、どれもショックが起こらなかったのです。確かに、ほとんどのトラウマは月日が経つにつれて段々と小さくなってはいましたがそれぞれのトラウマは多少ながら残っていましたので、先日の竜巻の後にその全てのトラウマに対して全く反応しなくなったのが不思議です。
まあ、ゼロとは言いましても、トラウマ的な記憶を思い出しても反応がゼロという意味で、トラウマの元になる記憶は残っていますので時折その記憶は奥底から浮かび上がってきます。その記憶の浮上は依然として時々ありますので、それはさほど変わりがありません。ただ、その記憶が浮かんだ時の反応がゼロになった、という意味です。でも、よく観察してみるとゼロは言い過ぎかもしれないと言う気もします。先日の竜巻の前後で10分の1以下になってほとんどゼロに近い、というくらいが正しいでしょうか。意図的にこのトラウマを呼び覚まそうとしない限りは特に問題ない程度にまで反応が下がった、というところでしょうか。
実はカルマというのはヨーガ的にはサムスカーラ(サンスカーラ)という微細な「印象」であって、印象がカルマとして輪廻転生に導きます。過去のトラウマがあるが故に同様の問題にも引き込まれますし、過去の喜びを覚えている、すなわち「印象」を覚えているからこそ未来の喜びを求めてカルマが発芽して新たな喜びや苦しみを生み出すわけですが、トラウマがなくなったということは、それはすなわち「印象」が消え去ったということであり、記憶はあるものの「印象」がなくなりましたので、少なくともトラウマに関するカルマはかなり解消されたのかな、と解釈しています。補足しますと、これはあくまでもトラウマに対してのことであって、他人に嫌なことをもし言われたら不愉快というほどでもないにせよ多少は面倒に感じると思います。でも、その程度です。
最初アナハタの説明を読んだときは「ふうん」と思っていたのですが、実際こうなってみると随分と状態が違うものだと思います。確かに、アナハタに関してはカルマを超える部分が多いにあるように思います。
そうは言いましても、思考のパターンと言いますか「癖」が多少は残っていますので、トラウマの反応はほとんどないにせよたまについネガティブに考えそうになることがなくはないです。そこは流石にまだ成長の途中のようです。そんなことがあったとしても以前より遥かにコントロールしやすくなっていますので、昔の思考パターンの癖が出そうになってもその度に「おっと、ネガティブ思考の癖が出てしまった。これも許します。これも許します。」と言ってあげることにしました。記憶はまだありますし癖もありますし思考パターンも割とそのままなのですが「印象」だけが消えてトラウマがほとんど消えただけなので、思考パターンの癖を戻すのはまだ続けないといけないようです。まあ、それだけでもかなりの進歩です。
ちなみに、第2回目のクンダリーニでは光の筋が2つ上がったのですが、その時はエネルギーの向上・生命力のアップが起こりまして、ネガティブも一時的にほとんど消えたのですがそれは生命力アップによるネガティブの解消でした。第2回目クンダリーニ経験の直後が最もエネルギーが高くてその後徐々に生命力が下がって行ったのですが、生命力が下がるにつれてネガティブが少し出てきていました(それでも昔より生命力が高いですしネガティブは少ないですが)。その、残っていたネガティブがこうして竜巻の経験を経ることによって更に劇的に減少した、というところです。
ちなみに、同書およびいくつかの書物、確かサッチャナンダの書物にも他のヨーガの書物にも書いてあるアナハタに関する有名な警告があります。
・アナハタを目覚めさせると思考に基づいて良いこと悪いこと全てが実現するので、ポジティブに考えるべきである。これが、「ポジティブに考えるべき」という事項に対する密教的な解釈のようです。
同書には、サッチャナンダによる別の警告も書いてあります。
・クンダリーニがマニプラまで上がり、その後下がってしまっても再度ヨーガ行などで上げることができる。しかし、一旦アナハタまで上昇してからネガティブな思考のためにムーラダーラまで下がってしまうと再び上昇させることは非常に困難。
■熱から暖へ
第2回目のクンダリーニではまさに「熱」を強く感じていました。その後、次第にその熱が下がってきており、私はそれがエネルギー低下と解釈していました。下がってきたと言ってもそれ以前よりはエネルギーレベルが高いのですが、それでも下がっている気がしていました。その根拠は主に「熱」を基準にしており、ポジティブさの度合いも判断基準でした。場所は、お腹のあたりを中心に熱がありました。
おそらく、この理解は確かにその通りでエネルギー低下もあったのだとは思いますが、変化はそれだけではなく、エネルギーの質が同時に「熱」から「暖」に変わったこともあるのだと最近は理解するようになりました。
「ヨガと冥想(内藤 景代 著)」には、ムーラダーラからマニプラまでは「熱」で、アナハタが「暖」で、ヴィシュッダからサハスララが「冷」と言う分類をしています。
まさにこれで、第2回目のクンダリーニは主にマニプラまでの経験だったように思います。ムーラダーラのクンダリーニが活性化し、それが主にマニプラにまで上がってエネルギーレベルが上昇してポジティブになったのだと理解しています。その時は、エネルギーがアナハタ以上に上がろうとしてもアナハタに詰まっている何かがそれを遮っているような感覚がありました。アナハタにエネルギーが上がると記憶の奥底に眠っているネガティブが出てきてエネルギーの上昇を妨げており、アナハタにエネルギーが行くことは多少あったとはいえ基本的にはアナハタの手前でエネルギーが遮られていたように思います。
それが今回の第3回目のクンダリーニのよってその障害が取り払われ、アナハタまでエネルギーが通ったように思いますが、それは第2回目のような「熱」のエネルギーというよりは、それよりも「暖」というくらいの温度の違いを感じます。基本的には内的な温度の感覚で肉体的な体温ではないのですが、第2回目の後は熱っぽくてポカポカして暑いくらいだったのが、最近はそこまで暑くはありません。それを言葉で言い表すと「暖」とでも言えるでしょうか。場所としても、以前と違って胸のあたりを中心に「暖」があります。
■時系列
前回の形式で、今までの流れを時系列で記載しておきます。
- 2015年1月 インドのアシュラムで生まれて初めてのヨガ 2週間 合宿。その後しばらくブランク。
- 2016年10月 日本の近所でヨガ再開。1週間ごと1回90分
- 2017年8月 ヨガの頻度を上げ、ほぼ毎日90分
- 2017年10月 雑念が減ってくる。ようやくヨガをしている感じになってくる。ヘッドスタンドが短時間だがようやくできるようになる。
- 2017年11月 ナーダ音が聞こえ始める。ヨガをほぼ毎日し始めてから約3ヶ月後
- 2018年1月 第1回目のクンダリーニ体験。ムーラダーラの電気ショックと眉間の皮膚から数センチ離れた空中(アジナ・チャクラ?)でのエネルギーの爆発。ほんの少しのエネルギー。
- 2018年11月 第2回目のクンダリーニ体験。クンダリーニ本体はまだ上がっていない雰囲気。2つの光の筋が上がっただけ。仙骨か尾骨のあたりに熱を帯びて血液が激しく脈打つ。かなりポジティブになる。性欲がかなり解消されて自然な(努力のいらない)ブランマチャリア(禁欲、ブラフマチャリア)の達成(性欲10分の1)。睡眠時間の短縮。声が出しやすくなる。
- 2019年7月 第3回目のクンダリーニ経験。(五大要素の)「風(Air)」のエネルギーによる竜巻が腰から頭まで上昇。光の筋はなし。竜巻は頭の周囲で発散(頭上および前後左右に発散)。うなじの下(大椎?)に少しの熱を帯びて血液が脈打つ。ハートがジンジン。第2回目ほどの変化はなし。性欲が更に10分の1 (第2回目クンダリーニ以前と比べると100分の1)
今回のでコツがなんとなく掴めましたので、同様に竜巻を起こすことでシバナンダ先生がおっしゃるように何度もエネルギー上昇させることができるのかもしれません。そのうち気をつけながら少し試してみようかなとも思います。
具体的なやり方は、まず、体の腰の周囲に空気というかエネルギーをグルグルと回転させる。意識で手の平を動かすイメージ。体は実際には動かさないで手の平を動かすイメージだけ行います。イメージ上で手の平を腰の少し前方、腰の右、腰の後ろ、腰の左、と言う順番でスムーズにグルグルと回転させて空気というかエネルギーの渦を作ります。5回転くらいさせた後、イメージの手の平が腰の左から腰の前方に来たら次は手の平を胸の前を通って顔の前を通って頭上まで動かすイメージをして、その時、回転している空気の渦を手の平と一緒に上に上げるイメージをします。すると、何かスーーーっとした感覚が胸の中と背筋、頭の後頭部のあたりまで上がって体の中をすり抜けます。まあ、だからと言ってすぐ何かが変わるわけでもないですが、これは有名な瞑想法の「ソー・ハン」や「小周天」とかと似ている気がします。これを誰かにお勧めする訳ではないですけど、私が夢の中で起きたことを再現するとこんな感じです。
■ベジタリアンでないと感じにくい
上のようなイメージをした時に風のルンが体の中を通過する感覚は、少なくとも私の場合はベジタリアン食をしていないと感じにくいようです。私は今は完全にベジ食ではありませんがベジを意識した食事を取っており、ベジ食を続けていた時は感じやすかったのですが、たまにお肉を食べると体内エネルギーが乱されて感じにくくなるような気が致します。ものにもよるのかもしれませんが。肉体を持っていますのでベジ食だけですと栄養バランスを崩すと思いますので雑食を心がけてはいるのですが、少なくとも精神にとってはベジ食がいいような気が致します。