人は誰でもトラウマがあるように思いますが、ハートに入る、あるいはハートに寄り添う時にトラウマが妨げることがあるようです。
私の場合、トラウマは次第に小さくなってきていますが未だゼロではありません。ゼロってことがあるのですかね? とも思ったりもしますが。
そのトラウマの対処法として、以前は時間をかけてネガティブな感情に向き合ったわけですけれども、最近は、トラウマが出てきたらその状態を保持したまま否定せずに味わう(?)ことでネガティブが消えていくようになりました。そろそろ本格的にトラウマがゼロになってゆく前触れかなとも思っていますけれども。以前はトラウマが出たら一旦否定の反応が反射的に自律的に出て、その後にネガティブな反応が出ていましたが、最近は、トラウマが出たら意識的に否定の反応を抑えて否定の反応が出ないようにし、トラウマの状態をあえて維持して味わうことで否定の反応なしにトラウマを味わうようにすることでトラウマを理解し、その状態を味わっているとやがて緊張がほぐれていってトラウマが解消してゆくプロセスを経験できるようになりました。
もしかしたら、これが仏教で言われている、ブッダが伝えたいわゆる「魔境」かもしれない、とも思っているわけですけれども。魔境かもしれないと言うのは仮説ですが。
このトラウマは、一般的には、ハートに入ることを妨げているようです。
ヨーガ、ヴェーダ、あるいはスピリチュアルなどではハートのいわゆるアナハタ・チャクラ(ハート・チャクラ)の奥には更に小さな空間があると言います。私の場合、アナハタ優勢にはなってはいるのですが、この、アナハタの中にある小さな空間、いわゆる聖なる空間に入ることができないでいます。
ハートの中に入れなかったり、入ってもそこにいられなかったりするのには理由があります。(中略)人生においてトラウマを経験した人々、なかでも特に人間関係や愛情に関して否定的な経験があると、ハートの聖なる空間に入るときに再びその痛みを味わうようです。するとその痛みがつらすぎて、そこにいることに耐えられないのです。「ハートの聖なる空間へ(ドランヴァロ メルキゼデク著)」
これは確かにそうかもしれない、と感じます。
最近は私の次の課題は何かなと探っていたのですが、ハートのこの辺りが次の課題かなあ、と思っている次第です。