個人には自由がありますから求めるものになるだけです。良いも悪いもありません。
生きている間に欲望に従って生きれば死んだ後も同様の生活が続くだけのことです。死んだ後に「無」になると思っている方も大勢いらっしゃいますけど、死んだ後のことを知らないのにそんなことを信じるなんてのは無神論という宗教に入信しているのと同じことです。それもまた個人の自由で、好きにすればいいと思います。生きている間に精神的なことに興味がなくて欲望に従って生きるのも自由ですし、そうなれば死んだ後もその欲望に従って生きることになります。死んでいますけど意識は生き続けますからね。死んだ後に「無」になると思うのであればそれも個人の自由です。好きに信じればいいと思います。
雑念が多いと死んだ後も欲望を満たそうとして想像を自分の周囲に作り出して欲望を満たしているかのような「夢見」の状態が続いたり、あるいは、地上のものを手に入れようとしてちょっかいを出したりするようになります。生きている人に話しかけて「○○が欲しい」「○○がしたい」「○○は面白そう」とかけしかけて生きている人間に自分の欲望を代理で叶えさせようとしたりします。あるいは憑依して行動させるということもあります。
これらは幽霊と言えばそうですけど、幽霊にも色々とあって、それは生きている人間と同じことです。
生きている人間で元気な人もいれば落ち込んでいる人もいて、欲望に生きている人もいれば清貧に安らかに暮らしている人もいます。あの世も一緒です。あの世の生活を謳歌している幽霊も大勢いらっしゃいますし、幽霊は幽霊でもふらふらとどこ行く宛もなく彷徨う地縛霊あるいは悪霊とも呼べる霊もいます。
これは、宗教を信じているかどうかとは直接的には関係がありませんけど、宗教的な事柄に多少なりとも理解があれば地縛霊あるいは悪霊になりにくいのは確かだと思います。生きているうちに宗教やスピリチュアル的なものを避けて物欲に生きた人は死後にふらふらと宛もなく彷徨う浮遊霊になる割合が多いような気が致します。
人は完全なる自由がありますから、その人の好きにすればいいと思います。地縛霊になって彷徨うからと言って悪いことはなくて、その人の勝手にすればいいのです。
直接的には雑念があるかどうかが関係していて、心が綺麗であればあるほど死後も幸せになれます。
ですから、物欲まみれの生活を送っていても最終的に満足して雑念と物欲が消えた状態で死ねば死後も幸せになれます。しかし、欲望を抱えたまま死ぬと死後もその満たされない欲求が頭の中をぐるぐると回って欲望に支配される生活を続けることになります。
生きている間は体があるので体の制約によって例えば「お腹がすいた」とか「どこかが痛い」とかで強制的に「我に帰る」ということが起きますけど、死んでしまったらそんな感覚はなくなりますので、かなりの長い間、物欲の思いにずっと囚われることになります。
お腹が空いたとかどこかが痛いとかいう感覚に惑わされずに物欲の思いにずっと浸ることができるのですから、その人の好きなだけずっと浸ればいいのです。
これも程度があって、かなり低い欲望を抱えていたりすると悪霊ですし、普通の人であっても「幸せな生活をもう一度送りたい」とか「良い嫁、良い旦那とまた地上で生活したい」みたいなささやかな願望もあったりします。ですから欲望とは完全に無縁ではありえないのです。
地上の方が制約が多くて欲望を解消しやすいですけど、死んだ後でも欲望を解消できなくもないです。想像すれば周囲にパッとそれが魔法のように現れますから、あっという間に欲望を実現できます。あの世には制約はないのでやろうと思えばなんでもできます。ただし、相手の魂は自由にはならないです。自分のことであれば勝手にすればいいのです。その人の自由です。
ある程度の幸せな死に方をすればいいですけど、欲望と不満がかなり残っていたりすると彷徨って浮遊霊とか呼ばれたりします。それはこの地上の欲望があの世までずっと続いている人たちです。
実際、そのような霊はこの世界に大勢いるのですけど、他人のことですからどうしようもありませんし、自分に関係がないのであれば放っておけばいいのです。あの世は時空の制約を超えていますからその物欲に何百年も浸り続ければいいのです。好きなだけ浸っていてください。誰もそれを妨げたりはしません。
その一方で、物欲とは関係ないところで静かに暮らしている霊もあります。あの世は広いですから、同じ意識の状態の人たちとは交流があってもその他の人たちのことは見えないことが多いです。
ですから、物欲まみれの人はそれなりの世界に住みますし、それは「欲求」「妬み」「恨み」「欲望」と言った種類のものですからその霊同士でトラブルも当然起こりますけど、私なんかからすればそんな他人のことに興味はありませんし放っておけばいいと思うので口にも出しません。
ただ、こちらに危害を加えてきた場合は別で、まずは「あっち行け」「威嚇」をして、それでもしつこい場合は何段階かに分けての「封印」、そして最悪の場合は「魂を消去する」という方法も取られます。そんなことはほとんどしませんけど、かなりの危害を加えてきたら相手の魂を消し去ることもあり得るわけです。これは、干渉してきた場合のお話です。
ですが、基本的にはあの世は自由が基本ですので、欲望に生たければその人の好きにすればいいと思います。
私の生き方とは違いますけどね。他人のことなのでその人の好きに生きればいいと思うのです。
死後の生活に興味がなくて死後は「無」になると思っていて欲望のままに生きている人は好きにすればいいと思います。なるようになるだけのお話です。