以前は、マントラを唱える時は割と普通の心の思考するマインドで唱えていたように思います。
その時は割とはっきりとした思考する意識でのマントラが体の各所に浸透して、例えば下半身によく共鳴するマントラとか、アジナに反応するマントラとか、割と上半身全体からアジナにかけて共鳴するマントラとか、それぞれマントラにも特徴があったように思います。
最近は、割とどのマントラを唱えても同じで、思考する普通の意識ではなく、とても奥深いところにある意識がマントラを唱えるようになりました。
そうなりますと、体のどこにも反応するところがなくて体は空っぽで、そうは言いましても体はありますので皮膚の感覚は残っていてそれは感じているのですけど、マントラを唱えた時の内なる空間というものが「空っぽ」なのです。
体の中が空っぽで、その奥底からマントラが小さく響いています。
昔は、割とはっきりとした意識だったということは、割と小さな部屋で誰かが喋っているかのようでした。体が小さな部屋で、その中でマントラを唱えると体の各所が、まるで小さな部屋で喋っているかのように部屋の各所にまで響いたわけです。
今は、その部屋が、とてつもなく広くなったように思います。少なくとも体育館、あるいは、実際のところ壁なんてない、青く晴れた草原のようだとも言えるかもしれません。
その広い場所でマントラを唱えていて、それをとても遠くから聞いていますのでマントラがとてもとても小さく聞こえるわけです。
マントラが遠く・・・、というよりは、とても深いところから聞こえているように思います。
その、深いところから響くマントラを、小さい音として聞いています。
体の中は空っぽで、マントラが多少は時々何かに反響するような感覚も時折ありますけど、基本的には空っぽなところでマントラが小さく響いています。
今までは顕在意識がマントラを唱えていたのが、もしかしたら今は奥深いところの意識が唱えるようになった、とも言えるかもしれません。
これは別に、そのように意図したわけではありません。
普段の生活において、最近は、顕在意識というよりは奥深い意識を意識しながら生活してきました。いわゆるサマーディ状態ということでもありますけど、そのように、深い意識に気づくようにして生活する時間を増やしていたら、ふと気がついたらマントラがこのように変化したわけです。
この変化は予想していたものではなくて、少し数日ぶりかにマントラを唱えてみたら自然にこのようになりました。
思えば、これが自然な感じに思えます。顕在意識で唱えるマントラよりも深く遠くにまで静かに浸透するマントラになりました。