ゾーンで歓喜に入り能力を高める

2021-08-27 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想の1つの目的として、ゾーンに入って能力を高める、というものがあります。ゾーンは意図せずして不意に入ることもありますが、意図的にゾーンに入ることができて、そのためには瞑想がよい方法ですので、ゾーンのためにアスリートあるいは職人はたまたビジネスマンや技術者が瞑想を行うことがあります。ですけど、この場合は瞑想は現世利益のための手段になってしまっているわけです。

この世界は完全に自由ですから誰かがそのように現世利益を追い求めてもそれすらも自由なのですけど、瞑想で解脱あるいは悟りを求めている人からしたらそのような能力的なお話は付随物で、悟りへの道の途中に出てくる副産物にすぎないわけです。とは言いましても現実にはマインドフルネス瞑想のようなもので現世利益をうたった瞑想が山のようにありますから、本来は途中の過程でしかないゾーンやあるいはリラックス、はたまた歓喜というものが最終結果として瞑想が理解されているのが現状かなと思います。

そうは言いましても、自分が気が付いていないだけで悟りを求めていた、という場合もあるでしょうし、顕在意識が現世利益を求めていたとしてもそう悪いことではないように私などは思ったりします。ですけど、現実問題、悟りを求めている方々は現世利益のために瞑想をしている人たちを苦々しく思っていたりする方もいるのも事実です。

このゾーンという領域は非常に微妙な段階で、悟りを求めている方ですらこの段階に留まってしまうことが多いように思います。ゾーンに入ることができて「楽」になったとか「歓喜」はたまた「リラックス」という状態で満足し、自分が既に目的を達成したと思い込んでいる人が意外に多いものです。とは言いましても、しばらくすれば自分が途中にいるだけでしかないことに気がつくでしょうし、基本は放っておけばいいのですけど、そうは言いましても、それほどのレベルの境地に達していない人が勘違いしている状況はめんどくさく感じることもあります。

「楽」だとか「歓喜」などがあって、ある程度のリラックスもできて、という状態になると一時的な快楽のようなものが瞑想や修行において感じられて、他人に対しても周囲の人は自分より劣っているかのような印象を受けがちなわけです。周囲の人が全て悟っているように思っていないのだとしたらこの段階にいるわけです。この次の段階とかになりますと周囲の人全てが悟っているかのように思えてきますけど、この「楽」とかの段階にいますと、周囲の人より自分の方が進んでいて自分がちょっと特別で他の人はまだ私の境地に達していないように感じてしまうものなのです。これは、そう感じてしまうのが仕方がないことですので、グルがそのように教えてあげて、そのように優越感を感じてしまうのならばそれはこの「楽」だとかそのあたりの段階にいるのだから、それは仕方がないので、そう思っていても他の人に対して自分の思いをそのまま伝えて「あなたはまだまだた」とかいうことを言わないようにしなさい、と指導すべきなのです。

この段階はそれなりのスピリチュアルの成長であることは確かで、それなりに経験を積み始めたのは確かですけど、それでも、まだまだな段階なわけです。

この段階では、最初こそ「自分は達成した」と思っているでしょうけど、そのうち「おかしいな。これで達成なのだろうか。何かまだやるべきことが残っているのではないだろうか」と疑問が出るようになります。そうしたら探求するかあるいは詳しい師匠に尋ねてみるのも良いかもしれませんけど、この段階の学習者・弟子というのは優越意識があって面倒で、グル・師匠もあまり相手にしたくないかもしれません。ですから、できるならばこれより前の段階で師匠をつけて、この段階に来たときに「あなたはまだまだなんだよ」と言ってもらえる師匠がいるとよいとは思いますけど、「師匠を見つけることができるのは幸運である」と言われているように、そうそう師匠は見つからないと思います。

だいたいアナハタ優勢になった頃から周囲が全員悟っているかのように思えてきて、その実感は少しずつ深まってゆくのですけど、それ以前は割と「自分が最高」、みたいな感覚から抜けきれていなかったように思います。ですから、アナハタ以前であれば気をつけるしかないように思います。

ゾーンで歓喜とか集中力が高まって能力が高まる、みたいなお話はそれ以前でも全然起こりますので、あまり勘違いしないことですね。

目的がゾーン状態で能力を高めることであればこのあたりのお話は関係なくて、単に集中を高めていけばゾーンに入れますから、それは好きにすればいいのかな、とも思います。