ヨーガスートラ3章5番。書物によってサンスクリットの訳が異なっています。
それ(サムヤマ)をかち得ると、知識の光が来る。(「ラージャ・ヨーガ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著)」)
サンヤマ(綜制)の修了によって、知の光が生まれる。(「インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ) (スワミ・サッチダーナンダ 著)」)
これがよく見る意味で、おそらくはサンスクリット的にはこのような内容なのかなと思います。
神智学系の「魂の光(アリス・ベイリー 著)」ではこれを以下のように意訳しています。
サンヤマの結果として、光が輝き出る。(「魂の光(アリス・ベイリー 著)」)
同書では以下のように説明されています。
魂の性質は光であり、魂は偉大なる啓示者であるという概念が含まれている。ヨギは、瞑想の着実な実践によって、自らの存在そのものから発する光を意のままに、どの方向にも向けられるようになり、どのような対象でも照らすことができるようになる。したがって、彼にとって隠されたものは何もなく、あらゆる知識が彼の手中にある。
最初の訳の「知識の光が来る(生まれる)」の内実がこのような意味であるのならばよく分かります。「知識の光が来る」とだけ言われてもよく分かりませんが、魂が光で、光が輝き出ることで知識が明らかになる、と言うことであればすんなり理解できます。
サンヤマの効果として、以下のようにも記されています。
この過程(サンヤマ)がより頻繁になり、しっかりとしたものになるにつれて、肉体人間の中に変化が起こる。彼はますます魂と同調するようになる。伝達における時間という要素は背後に退き、魂の光による知識領域のイルミネーションと、肉体脳の啓発が瞬時の出来事になる。頭部内の光はそれに対応して増大し、第三の目が発達し機能するようになる。アストラル界とメンタル界でもそれに対応する「目」が発達し、このようにしてエゴつまり魂は魂の領域だけでなく三界すべてにイルミネーションをもたらすことができるようになる。
瞑想(ディヤーナ)とサマーディ(三昧)、そしてサンヤマ(サムヤマ)へと続く一連の流れはついに第三の目に辿り着きました。アジナ・チャクラが活性化するのはサムヤマの段階と対応しているのだと解釈できます。同書を読み解くと、マニプラ以下の段階では低次サイキックな性質のみが開発され、低次サイキックな性質は高次サイキックな性質の開発の妨げになると書いてあります。マニプラ以下からアナハタ以上に「移動」(比喩的な言い方)して初めて高次サイキックな性質の開発が可能になると言います。ですから、サムヤマもアナハタ以上になってからようやく可能なものだと解釈できます。
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