第三の段階に至ってはじめて、瞑想者は貪りと怒り、そして欲求不満を完全に克服することができます。誤った思考(miccha-sankappo, 邪思惟)、中傷(pisunavaca, 両舌)、ひどくきつい言葉(pharusavaca, 悪口 あっく)が根絶されます。(「自由への旅: マインドフルネス瞑想 実践講義(ウ・ジョーティカ 著)」)
第三の段階とは不還だと解釈できます。
私の場合、もともと汚い言葉は好きではありませんでしたが社会に何十年と暮らすにつれて言葉が悪くなってきてしまっていましたが、2ヶ月前の風の体験でアナハタ優勢になって以来、汚い言葉を聞くのも話すのも無理になってしまいました。汚い言葉を聞くと調子が悪くなって頭痛がしたりしますし、汚い言葉を話すのは無理な感じになってきております。
悟りの第三段階である不還果で悪口が根絶されるということは、私の場合に当てはめると、不還果がアナハタ優勢の状態に対応するのだと思います。
アナハタ優勢になれば悪口ができなくなる、というのは理にかなっていますし、実際そんな感じです。これは躾とか道徳というものではなくて、感覚的に汚い言葉は無理な感じで、生理的に受け付けなくなってきました。ある意味、とても生き辛くなってしまったのです。
他の人がどうかは知りません。私の場合はこんな感じです。
■四沙門果とチャクラの対応
あまりこう言う対応付けはしないのかもしれませんが、私の感覚を元に四沙門果をチャクラに対応付けてみますと以下のようになります。
・預流果:クンダリーニ覚醒前。チャクラ感覚ほとんどなし。
・一来果:クンダリーニ覚醒後。マニプラ優勢
・不還果:アナハタ優勢。
・阿羅漢果:アジナかサハスララ優勢と推測(私はこれから)
これらの内容については以前の記事で引用したことがあります。
■違う切り口
上で引用した書物は同じテーラワーダ仏教でも以前に引用した「悟りの階梯(藤本 晃 著) 」とは切り口が違うので興味深いです。例えば、預流果と一来果について以下のように説明しています。
- 欲望、貪り、怒りあるいは欲求不満は、悟りの第一の段階によっては根絶されず、ただ誤った見方と疑いだけが根絶される。
- 悟りの第二段階は煩悩を弱めるだけ。貪り、怒り、欲求不満が弱められる。
- (第三の段階(不還)は上に引用した通り)
- 綺語(無益なお喋り)、即ち「新聞に書いてあるような、ニュースやゴシップについて語ること」と、邪精進(誤った努力)、邪定(じゃじょう、誤った禅定)、邪解脱(誤った解脱)、邪智(誤った知識)については、第四の洞察智によって初めて、根絶することが可能です。(「自由への旅: マインドフルネス瞑想 実践講義(ウ・ジョーティカ 著)」)
同書では第1〜4という数字での言い方が多く、この部分に明確に四沙門果の名前は書いてありませんが、内容的に第一の段階は預流者、第二段階は一来、第三段階は不還、 第四とは阿羅漢果だと解釈できます。
[追記 2020/12/10]
同じ仏教でも流派によって分類が異なるようです。煩悩という観点からすると上のような解釈になりますが、涅槃という観点からすると段階が異なるようですね。
→ 最初の涅槃への到達は預流道果(よるどうか)
→ やっている修行によって涅槃と煩悩の克服の度合いは異なる