暗性優生のサマーディと動性優生と善性優位

2019-11-19 記
トピックスピリチュアル

訳によって微妙に表現は異なりますが、これはタマス優生のサマーディ、ラジャス優生のサマーディ、サットヴァ優生のサマーディのことです。
ヨーガやアユルベーダでは3つのグナとしてタマス(惰質、暗性)、ラジャス(激質、動性)、サットヴァ(純質、善性)が言われていますが、サマーディにもその質の違いがあるようです。

ヨーガ行者のスワミ・ヨーゲシヴァラナンダは「魂の科学」にて以下のように述べています。

暗性(タマス)優位の三昧(サマーディ)
暗性とは、粗雑であるとか暗く不活発である、といった性質のことです。(中略)この境地にある時、私たちの意識は2時間から12時間もうつろなまま(Shunya Bhava)でいることもあります。(中略)この状態は、いわば深く寝入ってしまったようなものだと言うことができると思います。(中略)この境地においては、重要な知識とか役に立つような経験をするとかいうことが全くありません。(中略)導師につかずに自分一人で修行を続け、心素の働き(Vritti)を制御しようとしている者は、ほとんどの場合、この暗性優位の空虚な三昧境にまず入って行きます。私(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ)の場合も、何年もの間この空虚三昧のみを経験しておりました。(中略)智恵と分別が得られる三昧によって出なければ、解脱を目指す探究心は満足させられないのです。「魂の科学(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)」

このあたりに私の次の段階へのヒントがありそうです。

ひとまず雑念は抑えることができて晴々とした瞑想ができるようになりましたが、時折、人と接することで他人のタマスを受け取ってしまい、暗闇に包まれてしまうことが最近よくありました。そんな時、改めて上記のようなタマス優生の瞑想のことを意識するようになったのです。赤の他人のタマスなら拒否して終わりですけど、最近あった身内の不幸で他の身内がタマスに落ち込んでいたりしますとどうにかして回復させてあげる必要がありますよね。そんな時に否応なしにタマスを受け取ってしまいました。まあ、これは仕方がないですね。

今までのように、タマスを浄化してサットヴァにするのも良いですが、どうも時間がかかるな... と思っておりました。そこで、同書にヒントがありました。

動性(ラジャス)優生の三昧(サマーディ)
動性とは、感情を高ぶらせ、奮闘し、執着するといった性質のことです。この動性優位の三昧境では、善性が動性を助けますので、精妙な事物の知識を得ることができます。「魂の科学(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)」

ここでピンと来ました。

他人のタマスを受け取ってしまったりしてタマスが増えた時、浄化してサットヴァにする手の他に、ラジャスを高めると言う手段があるのだと。

なんでこんな単純なことに気が付かなかったのでしょう。

タマスからサットヴァを目指すとは良く言いますが、その途中にあるラジャスを軽視していたかもしれません。そもそも瞑想でラジャスをどう使うかなんて、本でも読んだり誰かに教えてもらわないと気づきにくいですよね。

タマスを浄化してサットヴァにすると言う手はもちろんありますが、タマスにラジャスの要素を加える、例えば感情を高ぶらせたりすることでタマスのどんよりとした瞑想からラジャスの瞑想に一旦持っていって、それからサットヴァの質を加えて浄化すればタマスをそのまま浄化してサットヴァにするよりも簡単にサットヴァまで持っていくことができそうです。

この、段階的な瞑想は、灯台足元暗しとでも言うのでしょうか。3つのグナの説明としては「ふむふむ」と理解していても、それを瞑想に応用するところまで気付きませんでした。

まあ、サマーディとまでは行かないまでも、普通の瞑想でも同じような要素を応用できるかな、と思っております。

感情を高ぶらせると言いましても、感情的になって叫ぶとかそう言うことではなくて、もはや既にそれなりの瞑想の静けさがありますので、体、特に上半身にちょっと力を入れてそのまま細かくブルブルブルっと細かな振動を入れて静電気と言いますか感覚がちょっと高まった状態を作り出すだけでも随分とタマスが消えて行きます。感情を高ぶらせると言うよりも感覚を高ぶらせる、静電気を作り出す、と言う感じでしょうか。

そういえば、同じような感情の高まりの瞑想手法、どこかで見たことがあるような... 何でしたっけ。忘れましたけど、そういえばこんな瞑想方法もありましたね。どのくらい同じかはちょっと思い出せませんけど、なかなかこの静電気の手法はタマスに効果的かもしれません。今後もタマスをもらってしまった時は試してみたいと思います。

続き: 奮い立たせてタマスを浄化する古神道の振魂