奮い立たせてタマスを浄化する古神道の振魂

2019-11-20 記
トピックスピリチュアル

先日の続きです。

古神道の「振魂(ふるたま、ふりたま)の法」が先日の感覚を高ぶらせる瞑想に似ている事に気が付きました。古神道にも流派がありますのでそれぞれ異なるようですが、「神道の神秘(山蔭 基央 著)」によりますと「鎮魂の法」の前段階としてこの振魂が行われることもあるようです。

鎮魂とは先日少し書きましたオーラを凝縮させる方法が一般的な解釈ですが、古神道的な本義は他にあるようです。その前段階としてこの振魂が行われる流派があるようです。

振魂とは、身体的には「軽い振動」を与える事で一種の神がかり状態に導くものでもあるようですが、そのような目を引く意味は本義ではなさそうですのでとりあえず置いておいて、私はそれよりも、ヨーガでも行われるような緩急をつけた筋肉の緊張と弛緩でリラックスする方法に似ているとも思いましたし、この振魂の本質はと言いますと、先日気付きましたようにタマスをより効果的に浄化する作用にあるように思われました。

古神道の鎮魂は高級な神霊界などに接触あるいは導き入れる法のことでもあるようですのでそれはサットヴァな状態であると解釈すれば、その前段階としてラジャスの状態に導くために振魂がタマスを浄化するというのは理に叶っているように思われました。

まとめますと

・タマスを浄化してラジャスの状態にするのが古神道の振魂(という私の解釈)。「軽い振動」を与える。
・ラジャスをサットヴァにするのが(本来の)古神道の鎮魂(という私の解釈)。呼吸法(ヨーガでいうプラナヤーマ)。

とすれば、様々なスピリチュアルな手法で最初に軽い運動をしたり振動っぽい働きを体にさせたりするのはこれと同じようにタマスを浄化してラジャスにする効果があるのだと解釈できます。

ヨーガのアサナ(体操)ももちろんそうですし、ヨーガのプラナヤーマ(呼吸法)の中には激しい呼吸をするものもありますけど、物によっては同様にタマスを浄化してラジャスにする効果のプラナヤーマもあれば、ラジャスをサットヴァにするためのプラナヤーマもあるのだと思います。

滝行なども、精神を強くするという意味合いももちろんあるのでしょうけど、この「軽い振動」を与えることが目的なのかもしれないですね。滝行でタマスをラジャスにしてサットヴァまで持っていくのはなかなか厳しそうにも思えますが、どうなのでしょう。滝行は大勢滝壺で死んでいるとも言いますしね。滝行で生命を危険に晒すよりは本質である「軽い振動」でタマスを浄化していけば十分な気も致しますが、どうなのでしょう。いろいろ流派があってやり方もそれぞれですので、体系に組み込まれているのだとしたら滝行はそれぞれの流派の意義があるのでしょうけど。

そういえば50年かもっと昔には「霊動法」とか言われるものも流行ったようですね。自分ではしたことがありませんが、1冊だけ本は持っています。見たところ、霊動法は振魂に似ているような気も致しますが、どうなのでしょう。同じ古神道の系列ですので同じように見えたりもしますが。

このラジャスの状態が先日の「魂の科学(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)」の解釈における「動性(ラジャス)優生の三昧(サマーディ)」と同じ段階なのだとすれば、それで繋がる世界は物理的な世界(の精妙な部分)であって、「善性(サットヴァ)優位の三昧(サマーディ)」のように高次の世界と繋がっているわけではないようですので、ラジャスの段階である振魂ですとか霊動法でそれほど良くない魂と繋がったり低級霊(狐や狸)が出てきたりするのも理に叶っている気が致します。霊動法にも色々あって、上達すればサットヴァなものに繋がったりもするようですが、見たところラジャスの事例が多いように見受けられます。

霊動法とよく似た事例として、大本教の出口王仁三郎の伝記である「大地の母」に面白い話が載っていたのを思い出したのですが、古神道の行法をして高級霊が来たかと思ったら狸か何かに騙されて埋蔵金の大捕物をした挙句何もなくて大恥をかいて信用を失った、みたいな話もあるようです。これは、振魂や鎮魂あるいは霊動法のような内容だと本からは読み取れますが、さほど熟練しておらず、試行錯誤的にしていたらよくわからない状態になったようですが、おそらくはタマスを浄化してラジャスになった段階で低級霊と繋がったのかな、と解釈できます。ですから、この種の「お告げ」なんてものはよくよく気をつけないといけないと思います。本当にサットヴァな状態に達する前は、このような、霊界からの「いたずら」に翻弄されたりもするのかな、と思います。

ヨーガ・スートラでも、悟りに達する前は様々な神々やその他の霊からの誘惑があるが、一切を退けなくてはならない、とあります。それはひょっとしたら、この種のラジャスな段階では特に気をつけなさい、ということかもしれません。